2015.11.30

人はなぜ変われないのか――
認知バイアスの罠

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 私たちは、日々さまざまな判断や決定を下している。それらは、どこまで合理的と言えるのだろうか? そもそも合理性とはどういうことだろうか?

 学問的な定義はさておき、日常生活や経営判断の場合には、次のように考えればいいだろう。コストや時間の制約を考慮に入れつつ、意思決定に必要な情報をできるだけ手に入れ、入手した情報の要不要や真偽を吟味し、論理的破綻を起こさず、感情に流されず、自分に都合のよい解釈だけをしないで、何らかの目的を最もよく達成すると考えられる選択肢を選ぶ――といった方法が合理的である。しかし実際には、このような合理的な判断や決定ができるのは限られている。極端に言えば、ほとんどない。

 私たちの判断や決定は、注意不足、知識不足、エラー、誤解、間違い、うっかり、などに左右され、偏っていたり、非合理的だったりするのが普通だ。個人であれ組織であれ、非合理的でバイアスがかかった判断や決定をすることによって、望ましくない結果が生じる可能性がある。このようなバイアスは、「認知バイアス」と呼ばれる。きわめて多くの認知バイアスが私たちの判断や決定に影響を及ぼしている。

 英語版Wikipediaには「認知バイアスのリスト」という項目があるが、そこには、優に100を超えるバイアスが列挙されている。他人はともかく、自分はちゃんと合理的な判断をしていると主張する人もいるだろう。しかし、このように、「自分は合理的だが、他人は非合理的」と考えてしまうのもよくあるバイアスの一つである。

認知バイアスの宝庫、ある家電製造企業の会議の例

 次のような決定を下した企業がある。この例はフィクションではあるが、実例に基づいたものである。

 2004年に創業されたある家電製造企業MJ社は、同年から製品Aを販売しており、その売上は順調に推移していた。その後2013年に、製品Aの顧客層以外に販路を広げるべく、製品Bの販売を開始した。ところが、その年から製品Aの販売数が急減したため、製品Bについての戦略会議が2014年に4回開かれた。その会議では、今後製品Bをどうするのか、販売を継続するのか中止するのかなどが議論された。

 以下に会議のメンバーの発言の趣旨を記すが、興味深いのは、この会議での判断や主張が認知バイアスの宝庫だったことだ。ちなみに、Bは少し特殊な製品であり、販売数はAの10%以下。2013年にはAとBの売上を足しても、2012年のAだけの売上に及ばなかった。

営業部長:Bの販売を開始した2013年にAの販売数は減少し、その後も回復しない。したがって、Aの販売数減少の原因は、製品Bの導入であることは明白であり、製品Bの販売を直ちに止めるべきである。

総務部長:製品Bを購入した人からのアンケート回答を見たら、そのうちの1人がきわめて低評価であった。こんな低評価は当初想定していなかった。狙い通りにいかなかったため、製品Bの販売は直ちに中止すべきである。

企画部長:製品Bの売上が悪いことは最初から分かっていた。製品Bは直ちに販売を止めるべきだ。

販売戦略部長:製品Aと製品Bを比較すると、消費電力が低いという点で製品Aの方が優れている。他の性質については、規格が異なるため比較ができず、唯一比較可能なのは消費電力である。したがって、商品として性能の劣る製品Bの販売は直ちに止めるべきである。

人事部長:Aの売上減少を見て、Bは止めた方がよいと思った。その後、資料を検討したところ、Bの評判にはよくないものがあった。売上も思ったより悪い。省電力にもなっていない。したがって、やはり中止にすべきだ。

専務:2013年には、同時に製品Aのデザイン変更をしたのは事実である。その年に製品Aの販売数が減少したのであるから、他にも原因はあるかもしれないが、デザインの変更が販売数減少の原因であることは明らかである。したがって、製品Aのデザインを旧来のものに戻すべきである。

 これら発言にはバイアスが盛り沢山である。まず、営業部長によると、Bを導入した後で、Aが減少したので、B(の導入)がA(の減少)の原因だという。これは因果関係の推測として、妥当だろうか? 専務の発言も同様である。総務部長の発言では、目立った悪い評価が一つあるからと言って、B全体をダメだと判断してよいのだろうか?

 企画部長の発言は本当だろうか? 最初から分かっていたなら、導入前に反対すればよい。ちなみに、B導入を決めた会議では、企画部長が反対したという事実はない。販売戦略部長の主張は、比較可能なデータだけを比較して、全体としてAの方がよいという推論をしている。こんな比較に意味はあるのだろうか? 人事部長は自分の主張の根拠を言っているのか、それとも自分の結論を補強する材料だけ見つけているのではないか?

主張が認知バイアスから導かれたという自覚がない

 この会議には、他のメンバーも参加していたが、全体の雰囲気(空気)は、このままではAもダメになるという恐怖心のようなものが見られ、Bの販売中止を支持していた。皆しっかりと自分の意見を持っていたのだろうか。あるいは単に集団思考や同調していただけ、あるいは権力者にしたがっただけかもしれない。このような空気に逆らった発言をしたのは、一般社員2人だけだった。

一般社員A:営業部長と常務の結論の出し方は間違っている。Aの減少はBが原因かもしれないし、Aのデザイン変更も原因かもしれない。しかし、他の原因も考えられる。因果関係を証明したと言うことはできない。

一般社員B:総務部長の言うように、一つ悪い例があるからと言って、全体の評判が悪いと言っていいのか。そんな少ないサンプルから全体を推測するのは間違いではないか。

 一般社員がこのような正しい発言をしても、結局無視されてしまった。それは場の空気もあるし、何より、重役や部長であっても、自分の主張は非合理的で認知バイアスから導かれたのだという自覚が全くなかったからだ。部長や専務は、互いに他の人の主張の根拠が弱いことに気づいていた可能性もあるが、結論は一致しているため、互いに批判し合うことはなかった。

 さらに、営業部長は「自分はデータより直感を信じる」という信じがたい発言をしている。企画部長は、会社の方針に反する発言も多いし、自分の主張を通すために、強い言葉で怒鳴ったりすることもよくある。結局、製品Bの販売は中止されたのだった。この決断が正しかったかどうかは未だ分からない。しかし、このような認知バイアスだらけの議論によって、重要な結論が下されたのは事実である。

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