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ひとたび心を許して友人になると、それまでとは天と地の差が……
(写真はイメージ)

自分の非を認めない

「とにかく、あやまらないよね」「問題を解説しても人の話を聞いてない」といった声は、最もよく耳にする。こちらでは、約束通り、予定通りに物事が進まない場面がある。レストランに予約を入れても、外の席を予約したのに中になっているとか、午前中配達予定のはずの荷物が夕方になってもこないなど。レストランで予約が間違っていたとしたら、他の店員のせいにして絶対にあやまらないことが珍しくない。配達予定だったはずの荷物は、夕方になって配達されれば良い方で、ひどい場合は配達もせず不在票もなく、ただサボって配達してくれずに、荷物が送り返されることもある。後日ドライバーに問い詰めると、荷物が大きくて車に入らなかったよと笑って済まされる始末。食い下がろうにも、「無理、無理。忙しすぎる」などとぼやきながら頭を左右に振って、全くこちらの話は聞いていない。絶対にあやまらない。

日本の宅配業者の働きっぷりを念頭におくと、気絶してしまうような状況だ。ネットで注文された重たい商品を文句一つ言わずにエレベータなしのマンションへも運び、不在だったらそれを持ち帰って、また持って上がって、最後は笑顔で「ありがとうございます」。何か問題があれば、「申し訳ありません」。シンガポールでは、想像すらできない行動だ。

ちなみに、どうでもいいような、あやまってもらう必要のないようなことには「Sorry, ya〜」とあやまってくれる。

友人には情が厚い

シンガポールに引っ越して間もない頃は、あやまらない人たちを前にやたらと苛立つ毎日が続くと思うが、どこかのタイミングで誰かの「友人」枠に入り込むことに成功すると、シンガポールの国民性に対するイメージがガラっと変わる。古き良き時代の再来かのような感じだ。

慣れない土地での暮らしを心から心配してくれて、手取り足取り家族ぐるみで助けてくれる。先日「Strait Times」紙の記事に、シンガポール人にとっての最優先事項は「家族」と報道されていたが、そのためだろうか、家族全体のことを心配してくれる。タクシーの運転手やスーパーのレジ係など、顧客に対して「わかりました」の一言さえ返さず無愛想に働くことが多いが、ひとたび親しい相手になると、180度態度は変わり、毎回笑顔で、そしてサービス満点で接してくれる。

今では、荷物の配達をサボっていた宅配業者のドライバーも、配達中の車の中からでも窓を開けて、「玄関前に置いておいたよ〜」と挨拶してくれる。笑顔で接する関係を維持しておくこと、つまり極めて人間的であることが、大きな実利をもたらす文化だと思う。職場でも「おはよう」の挨拶から始まり、ランチに一緒に行って仕事以外のことをお互いに知って、そのことを翌日なり翌週にキャッチアップする。それが、この国でうまくチームを作り上げていくことの基本となる。

さらに「友人」枠から「親友」枠に入り込むと、ネットワークが一気に広がる。ここで鍵となるのが、中国語だ。シンガポール人の多くは、読み書きは英語、会話は中国語が心地良いそうだ。シンガポール人が集まって和やかに会話している場面では、中国語がよく聞こえてくる。この場面で、一言、二言、中国語をキャッチして話すだけで、ぐっと心理的距離が近づく。が、言うは易し、行うは難し。

さて、以前こちらで、日系の引越業者がなぜ現地人を上手にまとめられていないのかを個人的興味から観察してみたことがある。日系の引越業者はどのチームリーダーもほとんど声を発さずに、ハイパフォーマンスな作業ぶりを見せながら黙々と働いているのに対して、こちらの引越業者でチーム全体をうまく統制できている業者は、そのリーダーが全体を見渡しながら、常に声をかけていたことが見て取れた。

日本ではシステマチックに人が動くように教育されているが、こちらはそうではない。決まりごとをスタッフがきっちり守ってくれるわけではない。そこを動かすためには、人間的なアプローチが必要なようだ。

実利的。実を取って、物事を前に進める。

シンガポール政府の動きを見ていると、問題を解決して物事をビジョンに向けて前進させることに重きが置かれていると感じる。まずは、国の長期ビジョンがあり、それに向けた戦略(骨太の方針)が作られ、その戦略に則ったアクションが次々と実行される。その過程には、もちろん複雑な問題が横たわっているわけだが、小難しい理論よりも、現実に発生している問題を解決することにフォーカスをおく。勢いのあるポジティブな決まり文言が用意され、小難しい理論も一蹴される。そもそも「Social benefit comes first.=社会の利益が最優先」という考え方が根付いているため、それをかざされると国民も反対しにくい雰囲気もある。

例を挙げるときりがないが、昨年の出来事を一つ挙げたい。クアランプールとシンガポール間の高速鉄道計画が進む中、昨年5月、シンガポール側の終着駅の設置場所は、現在ゴルフ場がある場所だと発表された。ゴルフ場は日本と同様、会員制のクラブになっているが、そのゴルフクラブには今年の年末までの退去が命ぜられた。別の場所への移転を現在も模索中だが、シンガポール国内にゴルフ場を持つことは困難で、国内にプールやジム、バーなどのクラブ施設を、フェリーで30分ほどのところにあるインドネシアのバタム島にゴルフ場を持つ案や、ゴルフ場なしのクラブになるという案が候補となっている。何百万円もの会費を支払った会員は、当然、富裕層。メディアで怒りを爆発させている会員もいるが、世論は味方に付けられていない。狭い国土のシンガポールで、未だに活用されていない場所に高速鉄道の駅を作ったのでは経済的な恩恵が薄まってしまう、産業の中心地の一つである地域で広い土地を確保するにはゴルフ場を接収することは致し方ない、富裕層に補償は必要ないといった意見が支配している。改めて個人の権利を考え直そうという風潮は見られない。

マイナンバー制もいい例だ。シンガポールには、イギリス統治下時代から始まった「NRIC(National Registration Identification Card)」と呼ばれる制度がある。アメリカの「Social Security Number」同様、銀行の口座開設、学校の入学手続き、病院の受付、小売店でのメンバー登録など、生活のあらゆる場面で求められる番号である。政府系の手続きでは、このIDでポータルサイトにログインできるようになっていて、引越しの際には、政府のポータルサイトで住所変更の手続きをすれば政府系すべての情報が書きかわる。こちらでの生活で、役所に出向く必要はない。個人に番号が紐付いていないことなど不便で仕方がなく思えるほど浸透している。一方、資金の流れを含めて個人情報は政府に把握されていると思われるが、個人の権利が脅かされることに疑問に持たれることはなく、社会の利益最優先の論理で、NRICに対する異議は耳にしたことがない。

普段の会話の中においても、問題解決の場面では全体にとってのベネフィットが述べられた時点で、その案に向かって議論が勢いよく転がっていくことがある。転がりだしたら最後、その議論の方向を転換することは不可能な雰囲気となる。些細な課題を出したところで、その流れを止めることはできない。少々の課題があっても、大きな流れで捉えた場合に「良し」と思われるものは、やってみよう、大きな問題が起きればその時に柔軟に対応する、という思考が感じられる。この実利的な思考は、実利的な思考をした党首による一党独裁の政治による賜物と言えるだろうが、建国から50年が経ち、すでに国民性として擦り込まれているように思う。