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2015.08.17

3代目が蘇らせる「ホッピー」
10年先を常に見据える伝統

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 65年を超える歴史を持つビアテイストの清涼飲料水「ホッピー」。焼酎をホッピーで割る伝統的な飲み方だけでなく、リキュールと合わせてオリジナルカクテルを作って楽しむようなバリエーションも広がっている。

 そのホッピービバレッジを引っ張るのは、3代目社長の石渡美奈氏。先代社長の父から受け継いだ会社を、時代に合わせてイメージチェンジさせながら、さらに10年先を見据えた経営を続ける。そんな石渡氏に経営への思いを尋ねた。

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 ビアテイストの低アルコール清涼飲料「ホッピー」は、第二次世界大戦後にビールの代用品として親しまれ、現在では首都圏を中心に好調な販売を続ける。明治38年(1905年)に先々代が興した石渡五郎吉商店は、ホッピービバレッジへと発展し、主力のホッピーに加えて、地ビール、コアップガラナ、サワーなど幅広い飲料製品を提供。しかし、社業は常に順風満帆というわけではなかった。3代目社長の石渡美奈氏はこう語る。

 「20年ぐらい前、私が入社したころには、ホッピーの世間的評価はかなり落ちていました。多くの方には知られていなかったですし、代用品のイメージからか良く言われないこともありました。当時は2代目となる父が社長を務めていましたが、ホッピーが本物であることを伝える気持ちが強くありました」

 ホッピーはビールと同じように、麦芽とホップ、酵母を使って作る。アルコール発酵させるときに、アルコール度数を0.8%までに抑えられるように、専門の酵母をドイツから取り寄せている。ビールテイストの清涼飲料水でありながら、ホッピーそのものは「本物」だという自負がある。まがい物ではなく、本物にこだわった商品をお客さまに出したい――その気持ちは創業者から今に至るまで綿々と続いているのだ。

本物を作るだけでなく、10年後を見据えた変革も

 「本物にこだわるという理念を貫く中で、新しく地ビールの免許を取ってビール製造を手がけ、商品の多様化を進めるようになったのも、先代の父でした。当時の社内は、社員のほうが変わりたくない感覚にとらわれ、社長が単独で変革を求めている印象でした。父が社員の反対を押し切って地ビールの免許を取ったことで、ホッピーは世の中に認められるようになり、会社の危機を救ったと感じています。地ビールの免許を取るという変革がなかったら、私は家業に興味を持つ機会を得なかったかもしれません」

 地ビールの製造販売を開始したのは1995年。それから20年経った今、「あのホッピーがビールを作っているんだ」と言われるようになっているそうだ。20年前に作り始めたものが、今になってきちんと評価されてきたのだ。

 「経営者がやっていることは、10年先、20年先を見ることなのだと思います。今はヒットしなくても、10年、15年後に成果が出ることがあるわけです。今、やっておかないと将来に成果を得ることができません。経営者は、アイデアをどんどん出して、経験値を重ねていく必要があるのでしょう。全てに意味があると考えています」

 石渡氏がホッピービバレッジに入社したのは1997年。大学を卒業して日清製粉に入社し、広告代理店などの勤務を経た後のことだった。ホッピーは焼酎を割るのが当たり前だと考えられていたが、それだと焼酎が苦手な人はホッピーを楽しめないことになる。

 そんな時に石渡氏が出会ったのがカクテル作りに精通するレストランの店長だった。「会社の近くにあったカナディアンレストランの店長にホッピーのカクテルメニューを作ってもらったんです。当時の社内の反応は、『ホッピーは焼酎を割るものでカクテルなんていらない』と否定的なものでした。しかし、それから15年以上が過ぎて今ではホッピーのカクテルは当たり前になり、いろいろなホッピーの飲み方や楽しみ方が広がってきました。父が10年先を見ていたように、私も10年先を見ているのだと感じています」。

 石渡氏の学生時代の恩師の1人が、ホッピービバレッジの現会長である先代社長と一緒に仕事をしたことがあった。その後、恩師が石渡氏に「おじいさんもお父さんも3代目もアイデアマンなんだね」と語ったのだという。創業者の祖父は10歳で起業してラムネ作りを始め、戦後にはホッピーで日本人に楽しみを提供した。アイデアを実現する系譜が代々受け継がれているのだ。

 「この会社では、社長が『分からない』という理由でアイデアがたらい回しになったりお蔵入りにされたりすることが少ないと思います。アイデアはもちろん100%成功につながるものではないけれど、礎は守りつつ、アイデアを生かし10年15年先を見た種まきをするのが社長業かなと感じています。ホッピービバレッジでは、変わらないものと変わるものがブレンドされて、結果として会社が前進するエンジンになっているのではないでしょうか」

会社組織を一から作り、人を育てることの重要性

 今では敏腕社長として社業を牽引する石渡氏だが、3代目を引き受けるにあたっての舵取りについては苦労した。

 「祖父は戦前、戦後の時代を生きてきましたし、高度経済成長ど真ん中の父の時代は、言わば作れば売れる時代でした。会社組織にフォーカスするよりも、とにかく作ることにフォーカスしてきたのだと思います。組織としては、石渡五郎吉商店に毛が生えたようなものだったと感じます。私が3代目を受けるとき、すでに市場は豊かで物があふれ、メーカーは良い物を作るのが当たり前の時代へと変わっていました。同時にホッピーは市場から忘れられ始めていた。良い物を作るのは当たり前だけれど、その上に何かがないと生き延びていけないと考えました。そこで会社の状況をよく見ると、組織として何かおかしいなと感じるようになったのです」

 石渡氏は大手企業に勤めた経験から、会社の組織と人について再考した。作って売れればいいという感覚、小さな会社で東京・赤坂の本社と調布市の工場という至近距離なのに社員同士を知らない体質など、違和感はいくつもあった。組織を考えることについて決定的になったのは、2002年に2代目社長から「いつか3代目を渡すから」と言われたときだったという。「第3創業に向けて志をともにする社員を育て、思うような組織を作っていきなさい」との言葉があった。

 「経営コンサルティングを手がける小山昇さん(武蔵野代表取締役社長)との出会いは大きな影響がありました。中小企業がいい企業文化を作るなら、新卒を入れて社長が一から人を育てなさい――という教えです。中途採用でお茶を濁してはいけないとも忠告されました。そうしたこともあって、社長就任前の2006年から新卒の採用を開始しました。組織と人財の育成にのめり込んでいきました」

 会社の陣容は3代目社長の手綱さばきで大きく変わった。元々年配の社員が多く定年退職していく傾向にあった上、会社の方針が攻めに変わることでぬるま湯体質に浸っていた社員が辞めていくこともあった。

 「この10年ちょっとで、9割5分くらいの社員が入れ替わりました。新卒はもちろん、中途採用でも私自身が採用しています。私は、番頭に守られるタイプではなくて、自分が戦いの先頭に立つことが好きだし、自身の成長のために外に学びを求めていくタイプです。今も2度目の大学院に通っています。乾いたスポンジのように、教えることを次々と吸収していく若い社員たちが『ついていきたい』といつまでも思ってくれるようなトップリーダーであり続けるために、自分が最も仕事も学びもしないと資格はない、と考えています」

 社長を受け継いだときに残されていた多額の負債もほとんど返済した。今では、自らが採用し、社長の理念、ビジョン、想いを注ぎ込んで育てた社員が大多数となり、新生ホッピービバレッジの組織と人材の礎ができつつある。若くして会社を受け継いだ女性社長の歩みは順調に見える。

 「確かに、順調な経営道を歩ませてもらっていると思います。いろいろと苦労はあっても全体からすると社業も好調に見えるでしょう。でも、安定を求めることはありません。安定を恐れるといってもいいでしょう。安定は退歩です。安定してしまうと傲慢になって、それがお客さまにも伝わってしまうでしょう。だから、私が自ら安定よりも、社内外に向けてさざなみを起こし続けているのではないでしょうか」

 守りと攻め、伝統と革新、安定と進歩。3代目を受け継いだ石渡氏の中には、さまざまな軸で、静と動のバランスを取りながら会社を運営していくジャイロスコープが備わっているかのようだ。


ホッピービバレッジ 石渡美奈氏インタビュー

text:Naohisa Iwamoto pic:Takeshi Maehara

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