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 2015年はエンブレムのデザインや科学論文での「盗作疑惑」が話題となった年でした。ある意味で、ネット検索の発達によってこれまで以上にこのようなチェックが素人でも簡単にできるようになったこともこのような傾向に拍車をかけたと言えるでしょう。

自分に似ている"残り二人"を見つける

 検索の対象はテキストデータだけでなく、画像も対象になっています。現状では、それほどの精度ではなく、実際にいくつかの顔写真で検索してみても、なかには「?」と思ってしまうようなものも多数結果に現れます。精度の点ではまだまだこれからですが、この領域でも技術的な進歩は急速に進んでいます。

 「自分に似ている顔の人が世界に三人はいる」という言葉がありますが、もし画像検索がさらに進歩し、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)など、他の形でどこかからの顔写真の検索が可能になっていけば、リアルに「世界のどこかにいるあとの二人」を簡単に探し出せるようになります。

 この他にも問題になったようなデザイン、あるいは楽曲、小説などのような著作物についても、簡単に「世界中の似ているもの」が検索できるようになるでしょう。特に音楽やデザインなど、抽象度の高い作品については、それほどバリエーションの基本パターンが多いわけではありません(音楽であれば特定の音階の組み合わせ、デザインであれば基本図形の組み合わせ)。

 そのため、これまでであれば、世界のどこかにあっても単に気づれないだけだった類似のものが、たとえそれを参考にしたものではなくても結果として類似のものが(不本意ながら)「見つかってしまう」といった事態も考えられるでしょう。

リアルタイムで「類似作品」のチェックをかける

 さらにそのような検索機能とデータ登録が進めば、創作活動の途中でリアルタイムに世界中に存在している既存作品とのクロスチェックが裏で実行されるようになり、類似の作品が即座に表示されるようになる――。少なくとも技術的にはこうしたことが早晩可能になってくるでしょう。

 そうなると創造的な活動をしている人にとっては、つらい時代がやってくるかも知れません。これまでであれば、後になってから「実は(法的な問題にはならない程度に)類似のものがあった」ということで事後に発覚していたものが、リアルタイムにアラートが出るようになると必要以上に創作活動にブレーキがかかってしまう可能性があります。

 現在、漢字変換機能などでは、数文字入力しただけでその先が「予測」されて表示されますが、これが作曲や小説の執筆でも「勝手に」その先の候補が表示されるようになり、自分が「オリジナル」だと思って進めようと思っていた創作内容が次々と「予測」されてしまうといった事態も十分予想されます。

 抽象度が高い作品であればあるほどパターンが少なくなってきますから、相当のオリジナリティを発揮しない限りは、既に世界のどこかに前例があるものがほとんどだと言ってもよいでしょう。そうなると、むしろICTから隔離されている創作者の方が「知らぬが仏」で大胆かつ効率的に創造的な活動に集中できるのかも知れません。

 データの蓄積とテキスト以外の検索機能の発展は人間の創作活動そのものを抜本的に変化させる可能性があります。果たしてポジティブな側面とネガティブな側面はどちらが大きくなるのでしょうか。ポジティブな側面を増幅できるような新たな創造の発想が求められてくるでしょう。