集団主義とは何か

 前回は,集団主義とは何かという定義や特徴付けには触れなかったが,改めて集団主義とは何かについて記しておこう。厳密な定義は不要だし不可能に近いので,高野2019(p.16)による説明を引用しておく。簡単に言ってしまえば,「集団を大切にするのが「集団主義」,個人を大切にするのが「個人主義」」である。「集団」とは,「自分が「属している」と感じる「集団」で」ある。「そのときどきで,家族であったり,会社であったり,国であったり」する。「「個人」というのは,自分自身で」ある。

「「集団主義」の特徴は,「個人が集団の一員として行動すること」」である。「集団に「同調」し,集団のなかで「協力」する-これが「集団主義」の核心で」ある。「個人の利害と集団の利害が一致しないときには,集団の利害のほうを優先することになるのが集団主義なのである。

 集団主義と対比され,集団主義を論ずるときに不可欠なのが,対立概念である個人主義である。個人主義についても,同書の説明を見ておこう。「「個人主義」の特徴は,「個人が独立した個人として行動することで」ある。「自分の意見を貫き,独自の行動をとる-これが「個人主義」の核心」となる。「個人の利害と集団の利害が一致しないときには,個人の利害のほうを優先することになるのだ。

 このような集団主義と個人主義の高野2019による特徴付けには特に変わったところや意外な点はない。私たちが日常用いている用語法とほぼ同じである。

 また,上にあるように,「集団主義」の核心は,「協力」と「同調」である。「集団が結束して行動するのが「集団主義」なので,そのためには,互いに「協力」しなければならない。「また,ひとり異を唱えて譲らない人がいたのでは,「協力」が成り立たないので,集団に「同調」することも必要になる。そこで,しばしば言われるように,協力や同調は集団主義を表わすキーワードとなるのだ。

日本は同調圧力が強いのか

 集団主義の代名詞のような「同調圧力」について見てみよう。「日本は同調圧力が強い」というのはよく聞く日本(人)論であろう。同調圧力とは,他の人と同じことをやれという,多くの場合には暗黙的な圧力のことである。独自の行動を許さず,集団の他のメンバーと同じ行動をとるべきだと迫るという意味で,集団主義の強い表われであるとされている。最近のコロナ禍では日本の同調圧力が,法律ではなく政府による自粛の要請に市民が従うことや,それに従わない店舗や人々をSNSで糾弾するような「自粛警察」という形で表面化してきていると言われることがある。

 最近,同調圧力に関する本が相次いで出版された(鴻上・佐藤2020,望月他2019,太田2021)。これらの本の主張は,日本はことのほか同調圧力が強く,そのために強いストレスを感じ,働きにくいし生きにくい社会になっているということである。それぞれの本では著者たちが経験や見聞によって同調圧力とみなす事例が豊富に出てくる。

 それらの例はうなずけるものが多いし,共感を覚えることも多々ある。おそらく日本は同調圧力が強いのだろう。さらに,同調圧力はどこから来るのかという分析についても違和感はない。鴻上・佐藤2020は,同調圧力は「世間から来る」と主張し,太田2021は「横(共同体)から来る」という分析であり,基本的には似ている。

 しかし気になるのは,鴻上・佐藤2020にある「日本は「同調圧力」が世界で突出して高い国」であるという本文中の表現(p.5)と,「日本は世界でもっとも同調圧力が強い国だった」という表紙の帯に使われている表現である。どうしてそのような主張に至ったかの根拠が書かれていないからである。「世界で突出している」とか「世界でもっとも...強い」というからには,せめて欧米との(もちろん他のアジア諸国でもよいが)国際比較をしたデータが載っているものと思ってしまう。ところが,同書では国際比較は,事例どうしを比べるだけである。同書では,高野2019が主張するような,データに基づく実証的根拠はいっさい挙げられていない。ただ,同調圧力やその原因である集団主義を示していると著者たちが主張する事例や言葉が,手を換え品を換えさまざまに羅列されているだけである。

 太田2021も同様であり,他の国との比較は,事例によって示されているだけである。たとえばマレーシアのインターナショナル・スクールでは,スポーツ大会や遠足などの行事への参加は,出るか,出ないかを聞かれるという例を挙げている。個人の選択が重視されているのであり,同調圧力はないという(p.50)。フランスの組織でも,同僚が残っているから自分だけ帰るのは気が引けるといった圧力は感じないという例が挙げられている(p.53)。しかし例示に留まっている。

友人への同調

 日本は諸外国に比べて同調圧力が強いというよくある主張は,きちんとした調査によって裏付けられているのだろうか? 実は,この点に関する信頼できる調査がある。それは,2017年に国立青少年教育振興機構が日本,アメリカ,中国,韓国4カ国の高校生それぞれ700人~1600人程度を対象として実施した「高校生の心と体の健康に関する意識調査」である。この調査は多岐の項目に渡って質問に答えてもらっているが,その中に「友達に合わせていないと心配になる」という項目がある。まさに同調を問う質問である。回答は,「そうだ」「まあそうだ」「あまりそうではない」「そうではない」の4通りの中から選ぶ方法である。次に示す数値は,「そうだ」と「まあそうだ」という回答,つまり,強い肯定と弱い肯定を示した回答の合計(%)である。

 「友達に合わせていないと心配になる」人の割合(%)

全体 男子 女子
日本  35.5  36.3  34.8
米国  55.4  49.5  60.9
中国  31.9  30.5  33.3
韓国  25.1  26.5  23.6

 (国立青少年教育振興機構2018,pp.100&121)

 この質問は,まさに同調行動をとっていないと心配になるかどうかを尋ねている。日本が同調圧力が強く,その結果同調行動をとっているならば,この項目への肯定回答は突出して多くなるはずである。ところが,数値をみれば明らかなように,圧倒的に高いのは米国の高校生なのであり,日本の高校生は中国・韓国に比べると少し高いものの米国よりはるかに低い結果となっている。よく言われている「日本は集団主義で同調圧力が高い」が「米国は個人主義の国であり,他人のことはあまり気にしない」という通説に真っ向から対立する結果である。

 この調査では,過去の調査との数値の違いが一部示されているが,それによると2010年に「友達に合わせていないと心配になる」という質問に「そうだ」「まあそうだ」と答えた高校生の割合は,日本35.4%,米国47.7%,中国30.6%,韓国68.2%である。2010年と2017年を比べると,日本と中国はほぼ変化なしであるが,米国はやや増加,韓国は大幅減少となっている。特に韓国がどうしてこんなに大幅に減少したのかの原因についてはまったく不明であるが,2010年でも2017年でも日本に比べて米国の数字がずっと大きいことは明らかである。

 どうやら,「日本人は集団主義である」,「日本は同調圧力が諸外国に比べて強い」といったよく見聞きする通説には,確かな根拠はないようである。

参考文献

・国立青少年教育振興機構2018『高校生の心と体の健康に関する意識調査報告書-日本・米国・中国・韓国の比較-』

・鴻上尚史・佐藤直樹2020『同調圧力-日本社会はなぜ息苦しいのか-』講談社現代新書

・望月衣塑子・前川喜平・マーティン・ファクラー2019『同調圧力』角川新書

・太田肇2021『同調圧力の正体』PHP新書

・高野陽太郎2019『日本人論の危険なあやまち』ディスカヴァー携書