前回まで数回,「見たものすべて」について考えてきた。人にとって実際に目の前にあって見えるものがすべてであって,そこからすぐに結論を導き出したがるのが人間の特徴である。
自信過剰な人
ところで,みなさんのまわりには,さまざまなことに妙に自信たっぷりに意見を言う人はいないだろうか。自分が専門としている分野や領域について自信を持っているのはわかるが,自分の専門外のことまでやたらに自信にあふれた人がいるだろう。そういう人はしばしば声や身振りも大きく,いかにも正しいと言わんばかりに説明されると妙に説得力があるように感じられる。
そもそも人には自信過剰の傾向がある。アメリカでの調査によると,8割の人が,自分は他人より車の運転がうまいと考えているそうだ。起業してお金持ちになる,ベストセラー本を書く,ユーチューバーとして食っていこうとして会社を辞める...。残念ながらこういった願いの多くは叶わない。自信過剰によってあまり望みのない野望を抱く人が多いのだ。しかし,もし人が自信を持っていなかったら,人類はこんなに発展しなかったろうし,資本主義もうまくいかないだろう。自信は人類にとって必要な資質であることは確かだ。それでも過剰な自信は有害である。
さらに素人よりも専門家の方が,断定的にものごとを言わないことが多いのもよく見る。メディアでのコロナ対策の議論は,多くの専門家とともに素人の発言も多かった。そのとき素人の方が断定的にものを言うことも多く,専門家は断言を避ける傾向があると感じた。実際,どんなテーマに関しても,素人は専門家に比べて,知っていることが少ない。すると知るべき知識全体も多くないと思ってしまう。そこで知っている範囲内で断定的なことを言うことが多くなる。専門家は逆に知識量も多いし,知るべき知識が膨大な範囲に及んでいたり,何かを主張するためにはいろいろな前提が必要なことも知っている。そこで,専門家は自分の知識を相対化でき,かえって断定的にものを語れなくなるのだ。
ダニングとクルーガーの実験
自信過剰な人にはひとつの特徴がある。実は何かの分野で成績の悪い人ほど,自分の成績に自信をもつ傾向があるのだ。もう少し詳しく言うと,自分の知識や見識に関して劣っている人の方が,自分の能力についてより自信をもってしまい,逆に知識や見識に優れた人の方が自分の能力を過小評価するという傾向が広く見られることが知られている。これが「ダニング=クルーガー効果」であり,「見たものすべて」から派生すると考えられる認知バイアスの一種である。
ダニング=クルーガー効果は,心理学者のデヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが見出した現象である。彼らは,米コーネル大学の学生に対して,ユーモア,論理的推論,英文法についてのテストに答えてもらい,さらに自分の成績が全体の中でどの程度なのかを予想してもらった。ユーモアのテストとは奇妙に聞こえるが,使われたのは一種のなぞなぞやアメリカン・ジョークであり,参加者はそのようなユーモアのある文章を30文読み,どの程度面白いかを11段階で評価した。どの程度面白いかを客観的に判定することはできないので,ダニングとクルーガーは,ユーモアの専門家(コメディアンなど)に全く同じ評価を依頼し,その結果を指標として,学生の回答をそれらと比較した。論理的推論と英文法に関しては正解があるので,評価は容易だ。
ダニング=クルーガー実験の結果
この実験の結果はどうだったろうか。興味深いことに,3種の実験を通してほぼ一貫して次のような結果が得られたのである。
(1)実際に成績がよい人たちの方が自分の成績はよいと予想している。
(2)実際の成績と予想の誤差の大きさは,成績がよくなるにつれてだんだんと小さくなり,やがて逆転する。すなわち,成績がもっともよい人たちは,実際の成績より予想の方が悪かった。
(3)成績の悪い人ほど自分のできぐあいを高く予想した。実際の成績と予想の誤差がもっとも大きかったのは,もっともできの悪い下位1/4のグループであった。
(4)自分の成績を実際よりも低く予想したのは,成績が上位1/4に入るグループだけだった。
(1)はごく当然であろう。(2)について言えば,たとえばユーモアのテストで下位12%の人で自分の成績を上位2/3に入ると予想した人がいたように,成績が悪い人では,自分の実際の成績より予想値の方が高い。この一貫した結果(1)~(4)をグラフで表わすと,次の図のようになる。もちろん厳密には問題ごとにグラフの形状は異なっているが,上の4つの傾向はほぼ一貫して見られたので,代表的なグラフを示している。横軸の,下位から上位は,それぞれ成績を全体の1/4づつに区切ったときの順位に基づいている。縦軸の予想成績は,自分の成績が全体の中でどの位であるのかの予想である。図で,青●がついているグラフは実際の成績を,緑▲のついているグラフは予想値を表わしている。
愚かな人の特徴
ダニング=クルーガー効果をまとめると,愚か者は次のような性質を持っていることがわかる。
(1)自分の能力を過大評価する。
(2)他者の能力を正確に評価できない。
(3)評価の不適切さをまったく認識できない。
ダニングとクルーガーは,愚か者は2つの重荷を持っていると言う。愚か者は能力が劣っているばかりでなく,能力が劣っているということを知る能力がないのである。愚か者とは言ったが,人はすべてのことに専門的な知識や能力をもつことはありえないので,どんな人でも,程度の差こそあれ,このような傾向を持つことになる。
ダニング=クルーガー効果の原因や,影響,そしてそれから逃れる方法については次回に詳しく見ることにしよう。
最後に,昔から著名な作家や研究者はダニング=クルーガー効果を見抜いていたようで,次のような言葉を残している。
「知識よりも無知の方が自信を生む」ダーウィン
「愚か者は自分を賢いと思い,賢者は自分を愚かだと思う」シェークスピア
「本物の知識とは,無知の程度を知ることである」孔子
参考文献
Dunning,David, 2011, The Dunning-Kruger Effect: On Being Ignorant of One's Own Ignorance, Advances in Experimental Social Psychology, vol.44, pp.248-296.
Kruger, Justin and Dunning, David, 1999, Unskilled and Unaware of It: How Difficulties in Recognizing One's Own Incompetence Lead to Inflated Self-Assessments, Journal of Personality and Social Psychology, vol.77, no.6, pp.1121-1134.