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 前回、AI(人工知能)が営業のような「人の心をつかむ」仕事でも人間を凌駕し始め、「出世頭」がAIになることだってあり得るのではないかという話をしました。そこでは、必ずしも人間vs AIという構図で「勝った負けた」という話ではなく、AI+人間のシナジーを出すことでさらに人間の力を増幅させることもAIの活用の可能性を意味すると述べました。

 そのような、人間とAIのコラボレーションの具体的なツールとしての実現手段として期待できるのが、ウェアラブルコンピュータ、ドローンやARのような技術です。

 今回は未来の働き方にそのようなツールがもたらす変化を考えてみましょう。いつものように、まずは技術的な制約が早晩なくなると仮定し、プライバシーやセキュリティの問題も解消していることを前提に考えてみます。

●誰でも「シャーロック・ホームズ」になれる?

 名探偵シャーロック・ホームズは、初めて会った依頼主を一目見て職業を言い当てたり、相棒であるワトソン博士の観察から、どこに行っていたかを推察したりできることで有名です。

 ホームズは、相手の身体的特徴や身につけているものへの細かい観察眼を持ち、それらをつなぎあわせるための抜群の周辺知識(この職業の人はどういう身体的な特徴があるとか)と合わせてこのような推理を展開するのでした。

 例えば、『赤毛組合』では、仕事の依頼に初めて訪ねてきた年配の紳士について、「このかたは昔肉体労働をされていた。嗅ぎ煙草を愛用しておられ、中国にいらしたことがあり、また最近かなりの量の書きものをなさった。」(光文社文庫:シャーロックホームズの冒険、日暮雅通訳)といった事実をその身なりから推察して言い当て、相手を煙に巻いています。

 このような卓越した「観察眼」と「周辺知識」を普通の人間にも持たせてしまう可能性があるのが、ARと組み合わせた眼鏡型のウェアラブル端末です。当初の期待が大きすぎただけに、プライバシーの問題などとも重なってGoogle Glassの個人向けの生産が中止されたこともあって一度はブームの火が消えかけたように見えるウェアラブル端末ですが、依然として無限の可能性を秘めていることは間違いありません。

 応用分野としては、医療や製造の現場など、どちらかと言えば「機械的な対象物」(人体も含む)に対しての応用が語られることが多いですが、例えばこれを「生身の人間」にも適用することによって、ビジネスの現場で誰もが「名探偵ホームズ」になることができるのです。

 前回取り上げた、営業現場における過去の取引履歴から相手の好みや関心のある情報をカスタマイズして、瞬時に提供するというのはAIの十八番です。これに関して、ウェアラブル端末によって人間の「観察眼」と「周辺知識」をリアルタイムで増強することができます。

 相手の容姿を「なめるようにスキャン」してしまえば、たとえ初対面の相手でも、どこの誰で(顔をネット上の写真と照合する)、どんな職業的な履歴を持ち(ネットの人事情報やニュースなどから)、どんな好みでどんな性格なのか(表情や身につけているものなどから)までが一瞬にして「推察」でき、いきなり一般論ではなく、その人ならではの各論から話を始めることができます。

 まさに誰もが「ビジネス現場のホームズ」になれるわけです(言い当てられる相手がそこまでされて「気持ち良い」かどうかは別問題ですが)。

 あるいは、社内においても上司が部下の最近の業務履歴からいまの悩みを一瞬で言い当てたり、必要な情報やノウハウを先取りして提供したりすることが可能になります。

 またオープンスペースならば、オフィス内を軽く「見渡す」だけで、最近「最近◯◯社を訪問した人」や「XX国に詳しい人」が「検索」でき、「ちょっとAさん」と呼び出して、生の情報をすぐに聞き出すことも可能です。

●「どこでも現場」が実現する?

 医療や工場の「現場」を高度化することのできるウェアラブル端末(+AR)は、加えてこのように「営業の現場」あるいは「職場の上司と部下の関係」も大きく変えてしまう可能性を持っています。

 そこでは、上記のような「AIが人を助ける」という構図に加えて、「人が人を助ける」ことでもいまとは違った将来の姿が描けます。

 現場という前線に出ている担当者と、オフィスにいて指示を出す側でのコミュニケーションギャップは、企業における「永遠の課題」と言えるでしょう。例えば、結果の出ない営業担当者にオフィスで指示を出す上司は、部下にとって「現場を知らずに正論を吐くだけの人」と映り、逆に上司からすれば、「自分が直接現場で顧客とやりとりしていればこんなことにはならないのに」という歯がゆい思いをすることになります。

 このような「現場と本社とのギャップの解消」にもウェアラブル端末が役に立ちます。上記のような場面であれば、部下が端末を身につけて現場に行けば、その場での打ち合わせの出席者やそこででてきた書類を全て「スキャン」できますから、そのデータを送付することで、本社にいる上司や専門家の指示をリアルタイムで受けることができます。

 まさに、映画『ミッション・インポッシブル』での「コンタクトレンズによる書類のスキャン」が現実のものとなり、テレビ番組の『ロンドンハーツ』のマジックメールのように、現場が密かに中継されて、そこに第三者からの指示が「耳元で(上記の場合は「目元」で)ささやかれる」という形での「営業現場でドッキリ」がもっと高度な形で可能になってしまうのです。

 そうなれば上司と部下との関係も変わってきます。「現場で起こったことを逐一報告したり、されたりする必要もなくなるとともに、アドバイスも実情に即した実践的かつリアルタイムのものになります。マネージャーの仕事も、より「単なる管理」から「エキスパートとしての(AIにできない)ノウハウの支援」という内容に変わっていくことになるでしょう。また「複数の現場に同時に顔を出す」ことも可能です。さらにドローンのようなリモートデバイスと組み合わせれば、人間が実際の現場にいなくても実質的に「現場に出る」ことが可能になります。

 こうなってくると、一体どこまでが「現場」なのかというのも曖昧になってきます。「単なる長時間の定例報告会議」のような退屈で非生産的な会議の代表のようなものでも、実はその場の出席者の大半が、細切れの時間を密かに使って「現場に出ている」ことも十分可能になります。

 ここまでの世界が技術的に実現可能になってしまうと、逆に恐ろしいのは「スキャンされる側」です。街を歩いていても、周囲の人からは自分の生活が技術的には筒抜けになってしまっても不思議はありません。有名人も、サングラスをしたぐらいではその存在を隠すことはできなくなります。

 「プライバシーやセキュリティの問題はさておき」という前提で始めた今回のお話ですが、早晩これまで以上に大きな議論の対象とならざるを得ないことは間違いないと言えます。限られた人と空間の中で繰り広げられるビジネスの世界でも、情報の記録や公開の範囲の線引きは大問題となるでしょう。

 「危険ですから人に向けてはいけません」という注意書きが必要なのが花火だけでない時代がやって来ています。