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働かせず、働かされず、働く 働き方改革は個人と企業をチャンスの裾野へと導く

3月末に政府の「働き方改革実現会議」は9分野からなる「働き方改革実行計画」を決定しました。
最も注目された時間外労働の議論では、上限を年間360時間・月間45時間とし、特例で労使協定を結ぶ場合でも超えられない限度を年間720時間・月間100時間未満とする方針が打ち出されました。

これに加え、どのような雇用形態を選択しても納得できる処遇を得られるようにするための同一労働同一賃金の推進への取り組みも織り込まれるなど、働き手にとって多様で柔軟な働き方を選択可能にするうえで必要とされる諸施策が示されています。

働き方の改革は現内閣発足時から成長戦略の要に位置づけられてきました。
2013年6月に公表された「骨太の方針」「日本再興戦略」には女性活躍推進、大学改革による人材力強化と若者の教育訓練拡充、労働移動支援型への政策転換の方針等が記載されており、施策の進捗状況はKPI(業績評価指標)と工程表を用いて毎年フォローアップされています。トップが継続的に方針を掲げてきたことで、実現会議の発足からわずか半年で実行計画をまとめることができたと言えます。

残業規制は成長へのチャンス

国会での審議はこれからですので、実行計画が結果的にどのような形で制度化していくのかはわかりませんが、特に時間外労働規制に対して不安や懐疑の声を頻繁に聞きます。 実行計画の内容はかなり踏み込んだものです。社員20名で年間合計労働時間が5万時間の中小企業を例にとると、新たな人材を探して社員25名で5万時間の労働量とするか、社員20名で4万時間の労働量とするかを迫られているような状況です。

後者の場合、労働投入量は20%減るものの固定経費はそこまで削減できないのが実態であるため、職場を維持するために必要な費用総額を1割程度削減するとしても、1時間当たり10%程度は生産性向上を図らなければなりません。前者の場合は利益総額が増えなければ社員1名当たりの人件費を平均20%カットしなければならないため、やはり相応の生産性向上なくして職場は持続しえません。

それぞれの職場で自発的に長時間労働是正が進むようになるには、政府としては、生産性向上に向けた成長戦略をいっそう推進し、さらにビジネス環境を向上させていくことが肝要です。その前提があったうえで、個々の企業が「仕事のルールが変わった」ことを受け止め、環境変化を成長のチャンスにできるよう、経営戦略の進化に取り掛かる必要があります。

残業規制がチャンスになり得るかどうかを、野球に例えて考察します。

最近のプロ野球では投手の負担軽減という方針のもと、多くの試合で先発投手は6回か7回で降板します。9回まで投げるのはせいぜい年間5試合程度です。

そのため、8回に登板するセットアッパーや、最終回を抑えるクローザーといった投手の力量が勝敗を大きく左右するようになっています。先発投手に必要なスタミナは無いが1日30球だけなら剛速球や魔球を投げられるという投手がチーム内で重宝されるようになり、数億円の年俸を手にする例も珍しくありません。1人の投手が試合終了まで投げきることが是とされた時代には活躍できなかった人材が、環境変化によって職を得て、高い評価を得られるようになっています。

企業で例えると中核的な社員の労働時間が減っていることになりますが、ではこれによってプロ野球の試合レベルが落ち、収益力が落ち込んでいるかというと、そのようなファクトはありません。ここ20年ほどの間に大リーグで活躍する日本人選手は増え、国際大会でも日本代表チームは常にメダル圏内の成績を残しています。巨人戦のテレビ放映は減ったものの、セ・リーグの観客動員数は回復を見せ、パ・リーグの観客動員数は20年前に比べて220万人増えています。

上述の環境のなかで「先発投手には必ず9回まで投げさせる。大事な時期には登板回数も増やす」という方針を持つチームは、必ず低迷します。30球だけすごい球を投げられる投手にとっては居場所がないし、優秀な先発投手はそのような過酷な条件を課すチームと契約しません。そして、良い投手がいないチームには良いバッターも集まりません。

一般企業で言えば、週2日あるいは1日4時間だけならば働けるという有能な人材が入社を希望するような職場環境を作ることが、他の中核的人材を獲得するうえでプラスに働き、市場の勝負で勝つために不可欠な要素である、ということです。

そうした職場環境が作られるようにするためには、マネジメントの質の向上を促す仕組みや、雇用形態に関わらず同じ基準のもとで評価が受けられる仕組み、社会全体で職業人の能力向上を支える仕組みなどが必要です。

そのためのポイントとなる、いわば「職場力」の向上施策として、コーポレート・ガバナンス改革を実質化する施策、柔軟な働き方を選べる労働環境を推進する施策、リカレント教育(職業人向け生涯教育)を推進する施策について紹介します。

その1:コーポレート・ガバナンス改革 転職したら社長になれない!?

「日本型経営は長期的な成長を重視しており、雇用や地域社会を大事にしている」。高いROE(自己資本利益率)を追求する米国型経営との対比で日本型経営を語る際、よくこうした表現が用いられます。

ところが数字を見ると、資本金10億円以上の大企業の就業者数は、アベノミクス以降増加が見られるものの、2000年~2015年の間に11.8%減っており、この間の生産年齢人口の減少幅(11.4%)を若干だが上回っています。

リーマンショックに見舞われた2008年で見ると、2000年~2008年の生産年齢人口減少幅は4.7%ですが、この間に大企業の就業者数は18%減っています。そしてこの間の賃金上昇は見られません。 短期でも長期でも日本企業は成長力に乏しく、資本の論理も労働の保護も機能していないことを数字は示しています。

「日本では、76%の上場企業のCEOが転職経験を持たない。一度でも転職するとCEOになれないのが通例。新卒一括採用という歴史を相変わらず背負っている」
「日本企業のトップマネジメントの交代は、業績とは関係性なく、サラリーマンの出世競争のなかで定期的に繰り返される」
「退任した経営トップの影響を払拭し、取締役会の監督機能を強化することにより、果断な経営判断が行われるようにするべき」

1月に開催された未来投資会議ではコーポレート・ガバナンス改革に関して上述のような踏み込んだ議論がありました。 2015年に導入されたコーポレート・ガバナンス・コードでは独立社外取締役の活用が謳われ、取締役会の機能強化への政府の方針が打ち出されました。この狙いは内部統制の側面だけでなく、リスクを許容した攻めの経営、新しい分野に果敢に攻め込むような"アントレプレナーシップの発揚"という側面が強くあります。

日系企業の多くは欧米企業に比べて、投資余力を持っているにもかかわらず成長市場への投資判断が遅く、不採算事業からの撤退判断も遅れがちです。ここに「社長職の順番待ち行列」とは無縁の独立社外取締役が介在して資本政策や事業ポートフォリオの見直しが継続的に行われて収益力、企業価値が高まることが、働き手にとっての価値向上に不可欠です。

昨年の段階で、東証の全上場会社の88%で独立社外取締役が選任されていますが、低収益の状態を放置し、現場の働き手に過度な負荷を強いるような現在の企業(経営者の意識)に変革を促すためには、コードのミッションが十分に浸透しているかどうか、フォローアップしていく必要があると言えます。

その2:副業解禁は当たり前。「起業家兼正社員」の育成・普及を

2点目としては、同一労働同一賃金の推進のほか、必ずしも政府が主導することではありませんが、性別・世代を問わず休職・復職がスムーズに行なえるようにすること、新卒一括採用慣行の転換、副業・兼業の普及などが挙げられます。

オープンイノベーションの時代においては複数職場での就業経験や多様な人脈が効果を発揮することが多く、「元従業員」を生かす知恵も重要となります。副業・兼業については、私自身の経験も踏まえ、議論の整理が必要であることを主張します。

法令で副業が禁止されている公務員などを除き、民間企業の社員が就業時間外に、勤務先のリソースを使わずに、勤務先と協業せず、評判に影響を与えない範囲で業を行なうことは原則自由であり、そもそも規制なり批判なりをされるべきものではありません。

幹部社員が効果の曖昧な接待費を使うことは許される一方で、若手社員が自費を投じてNPOを運営することや、専門能力を生かして文筆活動をすることを規制する職場も少なくなく、コンプライアンス担当役員が何を規制するべきかわからずに一律に社外活動を規制する慣習も存在します(なお、文筆活動による収益獲得は公務員でも認められている)。

むしろ副業で10億円・100億円集められるような強烈な個性を持った一社員を育てて企業全体の成長に生かす方向で、そうした人材の処遇手法を議論するべきです。

高成長IT企業では従前よりインデペンデント・コントラクターや「起業家兼正社員」は珍しくありませんが、他の業種でも、個人と組織が対等な関係で価値を高め合うような働き方が進むことこそ、「働き方改革」の"その先"の姿だと考えます。

その3:人材投資なくして成長なし

3点目のリカレント教育推進は、転職・起業促進や賃金上昇に欠かせない施策として議論が加速しています。
この背景には、経済産業省が公表したIT人材動向の将来予測があります。

それによると、2020年に高度IT人材が最大37万人不足するとの観測が示されており、その対策として竹中平蔵・東洋大学教授は「国が個人支援をする形で、社会人を対象にした高度IT人材教育を推進する必要がある」と主張しています。

また、働き方改革実現会議議員を務めた金丸恭文 フューチャー株式会社代表取締役会長は「(2020年に向けて)特に喫緊性の高いセキュリティー人材等には政策資源を集中投下する必要がある」と人材不足への危機感を訴えています。

3月に野村證券が発行したレポートでは、国が一人当たり教育費用として100万円給付し、教育を受けた人材が能力向上によって年収を50万円増やした場合、10万円が所得税として国に納められるため、10年で国は投資コストを回収できるという試算が示されました。もちろん、人材の一部が想定通りにスキルアップしない場合もあるかもしれませんが、教育を受けた人材が10年以上活躍し、一層のキャリアアップをすれば、国の投資収益は上がり続けます。

要するに、30年や40年の国債と比べてリカレント教育は無理のない投資とも言えます。無論、不足しているのはIT人材だけではないので、広範な分野のビジネスパーソンが国の支援のもとで高度な教育を受けられるようになることは今後の日本の経済成長を左右するものだと考えられます。

「働き方改革」を達成した先にある企業の姿とは?

メディアの報道では「働き方改革」=残業時間規制、という議論ばかりが目立っていますが、働き方改革はそこに留まる話ではなく、政府自身と産業界に対して既存戦略からの脱却を迫り、大胆な政策を果断に実行することを求めています。

大がかりな時代変革が進行するなか、狭義の人事制度改革に留めず、攻めの経営の観点に立って成長軌道を描くための働き方改革を進めることで新たな「日本型の働き方」を世界に示すーー。
それができる企業が次代のリーディングカンパニーとなるでしょう。


著者略歴:間中健介
1975年生まれ。米系コンサルティング会社勤務、衆議院議員秘書、愛・地球博広報スタッフ、電通PR勤務等を経て、2007年よりNPOシンクタンク理事として社会保障政策や成長戦略の提言などに取り組みつつ創薬支援ベンチャーの設立運営に参画。2013年より関西学院大学非常勤講師、2014年より内閣官房日本経済再生総合事務局にて成長戦略の企画立案に携わる。2016年より慶應義塾大学SFC研究所上席所員。著書に『ソーシャル・イノベーション』(関西学院大学出版会/共著)、『Under40が日本の政治を変える』(オルタナ/コラム連載)等