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インターネットによる検索やAIの発展によって、「単に知識を詰め込んでいる」ことの価値は日々下がる一方です。

ついに中国では「暁医」(シャオ・イー)と名づけられた人型ロボット(+AI)が医師の国家試験に合格するというニュースが伝えられました。これまで機械が仕事の人間を代替すると言えば、「単純作業から」が常識でしたが、これからは「知識・情報量で勝負するものから」が常識になっていく可能性が高くなってきています。

その流れは金融のトレーダーしかり、また「街中の通りの名前を暗記する」ことが求められていたために難関な試験を突破する必要があったロンドンのタクシー運転手にもその「魔の手」が忍び寄っています(Uberがロンドンで営業停止に追い込まれたのは、とりも直さずその存在が既存ドライバーの仕事を脅かすまでに大きな存在になったことが一因となっていることは否定できないでしょう)。

このように、「単に憶えている」ことが減ってきているのは、携帯電話やスマホ(+インターネット)が普及したこの20年で私達の「憶えるべきこと」にも大きな変化をもたらしています。


日常の「覚えていて当然」の内容が変わった

20年前の私達は家族や親しい友人の電話番号は10程度は「暗記」しているのが常識でしたが、いまでは「自分以外の電話番号」は暗記している人の方が珍しいでしょう(親子や夫婦関係も含めてです)。

さらには、会議で「久々に」ホワイトボードに手書きで文字を書こうといて複雑な漢字(時には単純なものでさえ)出て来なくて適当に誤魔化したという経験をした人も少なくないと思います。

一昔前であれば「憂鬱」や「薔薇」という漢字が書けなければ漢字の知識としては尊敬されるレベルではなかったものが、あと20年もして幼少期からの教育や教材のデジタル化が進めば、自分の名前をスラスラと手書きで漢字で書けることが「特技」になる時代が来るかも知れないというのはあながち笑い話とは言えなくなるでしょう。同様に四則計算だって、いまでは「暗記して当然」の掛け算の九九だって、結果を算出するだけの目的なら必ずしも憶えている必然性はなくなります。

さらにはカーナビの普及によって、中長距離の移動のための道を覚えなくなり、電車の路線検索アプリの普及によって電車の路線図や乗り換えの可否についても以前ほど詳細に憶えている必要はなくなってきています。

「スマホ前」であれば、例えば「東京から高知まで飛行機以外の交通手段を乗り継いでいく方法のオプションは?」というのはJRの車掌さんや鉄道マニアでなければすぐには答えられなかったはずですが、いまではスマホがあれば中学生でも一瞬で答えられます。


ビジネスパーソンの「憶えているとすごい」も変わる!

仕事の場面でいえば、以前は社内で用いられる記号や番号について、例えば管理システムに用いられている顧客番号や業者番号や製品型番等も各桁毎に意味を持っていて、例えば何かの帳票やデータを見た瞬間に「2桁目がKのコードは◯◯だ」といったノウハウをすぐに繰り出せる人が「仕事が速い人」と尊敬されていましたが、いまではスキャナー入力等でそのような番号は意識することも少なくなっており、そのような「ノウハウ」は一気に無力化してきています。

営業の場面でいえば、顧客情報を「憶えている」ことは一昔前まで(実はいまでも多くの会社では)できる営業マンの必須条件の一つでした。個人顧客であれば、家族構成や配偶者の誕生日を憶えていて、思わぬサプライズプレゼントをしたり、過去の購買履歴を「憶えて」いて「去年◯◯を購入されましたよね?」等と言えば顧客は一気に「そこまで自分のことを気にかけてくれていたか」と感動してその担当者のファンにもなったものです。

ところがいまではSNSが自動的に誕生日を教えてくれますから、誕生日にメッセージを送ることの価値は(よくぞ憶えていましたという点では)ほとんどなくなりました。

さらに近い将来、AR(Augmented Reality)や顔認証の技術が普及してくれば、顧客の顔を見た瞬間にその人に関する個人情報は一気に誰にでも入手可能になりますから、「単に顧客情報を憶えている」ことの価値も急速になくなっていくはずです。

AIのイメージ

AIとすみ分けできることを考えることからはじめてみよう!

このように、仕事のノウハウについても現在当たり前のものが将来はそもそも必要でなくなることを挙げていけば、いかに私達の仕事が将来的にはAIで代替可能であるかが1つずつ明確になっていくでしょう。

「これから憶える必要がないこと」を皆さんの職場でも改めてリストアップして、では今後どうしていくべきなのかを考えてみてはいかがでしょうか?

その上で必要なことは、「単に記憶していること」はAIにまかせて、人間はそれを使って「能動的に考えること」に特化していくことが求められていくでしょう。

 人間にとっての知識は、「記憶用媒体に永久に保存する」ものではなく、そこはAIに任せた上で「一時メモリーに作業用に置いて、作業が終わったら『忘れて』しまう」位置づけが強くなっていくでしょう。

「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という言葉がありましたが、未来人は「宵越しの知識は持つ必要がない」(「いつでも引き出せる大きな蔵」をAIが担ってくれるから)のです。