季節が巡り、今年入った新入社員たちもそろそろ「社会人生活」が板についてきたころではないかと思います。同期と入社当初の"失敗話"で笑えるような余裕が出てきたら一人前、とも言えるでしょう。

そうした時に話題になることのひとつで、恐らく新入社員が会社に入って「一度は失敗すること」のベスト10には入るのではないかと思う日本のビジネス慣習に「社内の人間はたとえ社長だろうが『さん付け』しない」というものがあります。社外の人に「◯◯さんはいますか?」と言われて「◯◯は・・・」と言うべきところをつい「◯◯さんは・・・」と間違えて先輩社員に「常識がないねえ」と言われてしまうといったことは、特に伝統的な組織において毎年職場で頻出しているのではないかと思います。

今回「新しい働き方」を考える上で見直してみたいのがこの「社内は『さん』なし」という慣習です。これはビジネスマナーとしては「基本中の基本」と考えられていて、もはや日本語の一部と認識されているため、この事自体に疑問を感じる人はいないのではないかと思います。

ところがこの「社内は『さん』なし」という慣習、現代のビジネスでは相当そぐわない場面が多く出てきています。それは、終身雇用が崩れて人材が流動化し、かつ仕事が全て内製されていた状況から外注化が進んで「社内」と「社外」の区別が曖昧になってきたからです。

裏を返せばこの「社内は『さん』なし」が適切に機能するためは、社内外の区別が明確であることと、勤務先が簡単には変わらないことの2つの条件が暗黙の前提になっているのです。

人材派遣のような形で「他社の名刺を持っている」人たちは状況に応じて「派遣先の上司」を「さん」を付けたり付けなかったりを使い分ける必要がありますし、近年ではオープンイノベーションやクラウドソーシング等も進展し、どこまでが社内でどこからが社外かという境界はますます曖昧になっています。さらにそこで頻繁な転職が絡んできたりすると、話が一層ややこしくなってきます。

先月まで「さんなし」で呼んでいた転職前の会社の上司の話題を、転職後に当時の取引先の人と話すときには突然「さん付け」するのもおかしいのでそのまま「さんなし」で呼んでみたりすることがあるかも知れません。またそれも自分が「どの程度社内なのか?」を常に考えながら「さん付け/なし」を使い分ける必要があるので、そのうちに訳がわからなくなっていきます。



働き方が変われば、ビジネスの"常識"も変わる

そもそもこの慣習は日本社会特有の「内と外を明確に分ける」(「鬼は外、福は内」を代表として)基本的な価値観を引きずったものと考えられますが、これは先に述べたように現代のビジネス環境とは完全に逆行しています。

したがってむしろこの習慣を自然に使える会社というのは「旧態依然」の働き方をしていることの証明になっていまいます。

「全く最近の若いものは基本的なマナーも知らなくて困る」と嘆いている年配社員こそ、「昔の発想から抜けられていない」痛い存在になってしまっている(ことに気づいてもいない)わけです。



実は「さん付け」はグローバルでもつかえる敬称かも知れない!

「さん付け」に関連して、もうひとつ今後の働き方を考えさせることがあります。今度はむしろ世界と比較しての日本語の敬称としてのあり方です。

英語他、多くの外国語では敬称が男女で別々です。これも「LGBT」という言葉が定着しつつある昨今の社会情勢を考えると「時代遅れ」になりつつあります。

例えばビジネスの現場では、担当者が男性か女性かの区別が厳格に必要な場面等そもそもあまりないばかりか、LGBTの人には「暮らしにくい」要因のひとつにもなっているのではないでしょうか?

もうひとつ、日本語の便利なところとして、あまり代名詞(彼とか彼女とか)を使わずに「〇〇さん」という呼称がそのまま何度も使われることがあります(例えば英語であれば初出の場面で名前が出たらその後はheやsheといった代名詞で表現する方が多いでしょう)。

代名詞を極力使わないでさん付けで通す日本語の表現も、男女の境目が一部曖昧になりつつある現代では、時に便利な使い方と言えるかも知れません。

グローバルの時代、海外の人たちと付き合う場面が増えてくるとこのような便利さが役に立つ場面も増えてきます。メールで付き合いが始まった人等は相手の名前はわかってもしばらく性別がわからない等という場面も頻出してきます。

その場合に不便なことのひとつがメールをDear Mr./Ms.どちらで始めるかや、その人への言及をhe/sheどちらにするかという悩みですが、「さん付け」はこの事態を解決してしまいます(he/sheの問題についてはそれを一緒にしてtheyで代用という動きもあるもののMr./Msについての「統一名称」はあまり聞いたことがありません)。

もちろんいまでもある程度親しくなってくれば英語圏であればたとえ上司--部下の間でも「ファーストネームで呼び合う」ことでもこの問題は解消できますが、依然としてある程度フォーマルな場面は必ず残りますから、根本的には解決できません。

san説明の図

大抵の外国人は、日本人の人と付き合い始めるとすぐにsanという敬称を多用し始めます。この背景には、上のような「便利さ」があるのではないかと思います。またこの言葉は短い上に他国の人たちにも比較的発音し易い(例えば、英語のsunや仏語のsansにも近い)と考えられるため、「グローバル統一語」の素質は十分です。

ちょうどこれは英語においては以前(いまでもまだ多くの場合用いられている)女性の既婚と未婚と明確に区別していた(MissとMrs.という形で)のが、区別をすることが時代に合わなくなってきたことから両方併せたMs.という敬称が広まってきた動きと良く似ています。MissとMrs.が統一されていったような言葉はMr.とMs.で再度起こることを考えても良い時期なのではないでしょうか?

現状それらを統一する言葉の決定打がないなら、既にグローバルなビジネスパーソン(この言葉もビジネス「マン」の「進化系」ですね)の間でそれなりに定着している「さん付け」をいっそのこと社内も社外も関係なく世界中に広げてみるのも面白いのではないでしょうか?

このような背景から、「ビジネスで付き合う人たちは世界中全員『さん付け」にしましょう」なんてことがグローバルで定着化してくれば、「いまだに『社内はさんなし』なんて残ってるの?」なんていう言葉が飛び交う日が来るのも遠くはないかも知れません。



「さん付け」から新しい働き方について考えてみよう

グローバル化やICT化の進展等の環境変化によって様々なものの境界が曖昧になっています。先に挙げた「社内と社外」「男性と女性」の他にも「プロとアマ」の境界も曖昧となってきています。このような環境下で新しい働き方を考える上で、多くのものがこれまでの「明確な境界」を前提とするものになっているために実は身の回りにも時代遅れになっているものがないか、一つひとつ点検していくことも重要です。

「呼び名で区別する」ということは、「暗にそれによってその後の扱いを変える」ことを意味します。例えば東日本出身者と西日本出身者の呼び名を変えることにはほとんどの人が「意味がない」と感じるのと同様に、上述の境界が曖昧になればなるほどその呼び名を分けることの意味が小さくなってくることは間違いありません。

 一時期「組織のフラット化」の文脈で「○○課長」「××部長」の代わりの呼称として「さん付け運動」が日本企業で流行ったことがありますが、今回はそれとは違う文脈で、仕事や組織、そして働く人の立場から「さん付け」について考察してみました。上記運動とは違う文脈で「新しい働き方」を考える上での何かのヒントになるのではないでしょうか。

 その意味で「さん付け」の仕方の見直しはそのきっかけとなるのではないかと思います。