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世界最大級のITカンファレンス"Dreamforce"--「社会貢献活動」というもうひとつの本質

Salesforce.com社による年1回のITカンファレンス、"Dreamforce"が今年も開催されました!
会期中はサンフランシスコのモスコーニセンターを中心とした15ヶ所の会場で、25の基調講演と大小合わせて3,300ものブレイクアウトセッションが実施されました。パートナー企業が出展するクラウドエキスポでは400社を超える企業がブースを設置し、大変な熱気でした。

街もすっかりDreamforce仕様。道路の一部は封鎖され、いたるところに案内板をもったスタッフが立っていました。歩道も会場も、首からカンファレンスパスを下げて歩く人の波で大渋滞。なんと、今年は83ヶ国から17万1,000人の参加登録があったそうです。初めて参加する私にとっては見るものすべてがびっくりの巨大イベントでした。

連日大混雑の会場

さて、"NO SOFTWARE"という強烈なスローガンを掲げ、クラウド市場を牽引してきたSalesforce.com社ですが、今では無数の顧客・パートナー企業からなる世界最大級のクラウドプラットフォームを構築しています。Dreamforceの規模を見ても、同社のエコシステムが世の中にどれほど大きな影響を与えているかがよくわかります。もちろんDreamforceで最も大きな注目を集めるのは、新製品や今後の戦略についての情報。日本からの参加者にお話を伺っても、「CEOのマーク・ベニオフ氏が、基調講演で何を話すのかを楽しみにしている」という方がたくさんいらっしゃいました。

しかし私自身にとって、新製品の発表と同じ、もしくはそれ以上に印象的だったのは、様々な社会問題の解決に向けて先進的な取り組みを行うSalesforce.com社ならではの企業文化です。ベニオフ氏自身は社会貢献活動に力を入れていることでかなり有名な人物ですが、Dreamforceの会期中だけでも一朝一夕には行動に移せないような様々な啓蒙活動を目にし、同社の社会貢献活動への強い信念を感じました。

今回、特に強く打ち出されていたのが"Equality"というキーワードです。ベニオフ氏は、現在LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ジェンダークィア)、男女間や人種間での同一機会・同一賃金などの課題に非常に積極的に取り組んでおり、Dreamforceでも"Equality"をテーマにしたセッションが数多く開催されていました(Dreamforceにおける"Equality"への具体的取り組みについては、次回詳しくご紹介します)

ベニオフ氏は基調講演で、Salesforceのコアバリューは信頼・平等・成長・イノベーションの4つであると語りました。

毎年、Dreamforceにはたくさんのゲストスピーカーが登場します。今年は慈善活動家としても活躍するミュージシャンのwill. i. am氏やビル・ゲイツ氏の妻でビル&メリンダゲイツ財団共同会長のMelinda Gates氏、U2のBonoが設立した「エイズフリー世代」の誕生を目指すチャリティ団体「(RED)」代表のDeborah Dugan氏、世界で最も有名な自己啓発の指導者であるTony Robbins氏などの豪華メンバーが基調講演を行いました。

社会問題の解決を目指して突き進む人、様々な苦労を乗り越えて夢を実現している人の姿を間近に見られることがDreamforceのもうひとつの本質、そして大きな魅力なのかもしれません。少し大げさな表現かもしれませんが、Dreamforceはテクノロジーのみならず、生きることすべてに関する気づきと学びの場にもなっているように感じました。(『マインドフルネス(瞑想)』をテーマにしたセッションなども行われており、会場には袈裟を来た僧侶の姿も見られました)

多様な人が活躍できる社会こそがイノベーションを生み出す

さて少し話は変わりますが、2012年にベニオフ氏はロイター・ジャパンの取材に対し、次のようなことを語っています。

"人材の多様性は、イノベーションに重要なポイントのひとつでもある。シリコンバレーが世界有数のイノベーション中心地のひとつであることは、ただの偶然ではないだろう。
シリコンバレーで勤務するエンジニアの半分以上が外国生まれで、IT企業の創業者または最高経営責任者(CEO)の半分もまた外国生まれだ。グーグル(GOOG.O)のセルゲイ・ブリン、インテル(INTC.O)のアンディ・グローブ、ヤフー(YHOO.O)のジェリー・ヤンらが、シリコンバレーを今日ある姿に発展させた。海外出身者の雇用が、イノベーションと成長の大きな原動力となってきたことはすでに証明されている"

出典:ロイター「日本は起業家の貢献に正当な評価を=ベニオフ・セールスフォースCEO」2012.03.08
http://jp.reuters.com/article/tk0740196-teigen-benioff-idJPTYE82704U20120308?pageNumber=1

多様な人が活躍できる社会こそが、イノベーションを生み出す――これがベニオフ氏の信念です。そして今回、このベニオフ氏の思いを代弁するような素晴らしいセッションが開催されました。それが、シリコンバレーで最も名の知られた日本人の起業家AnyPerk創業者兼CEOの福山太郎氏の講演です。

Sleeping in a parking lot to CEO ――ファストフード店の駐車場で寝泊まりしながら夢に挑戦したAnyPerk福山氏の起業ストーリー

Salesforce.com社は、従業員のみならず顧客・パートナーをも含めたすべての人々が、性別や人種にかかわらず平等にチャンスを与えられるような社会を作るというビジョンを掲げています。福山氏の講演は、その活動の一貫として、多様性への理解を深めることを目的に開催されました。メイン会場からは少し離れた会場での開催でしたが、多くの人が参加していました。

福山氏が共同創業者のサニー・ツァン氏と共に設立したAnyPerkは、従業員に対する福利厚生プラットフォームを提供する企業で、Salesforce.com、Virgin America、Adobeなどの有名企業をはじめ、全米で2,500社以上が同社のサービスを活用しています。"Top 100 Brilliant Companies" や "The 15 Most Innovative Companies in the World"といった賞にも選出され、創業以来、シリコンバレーで注目を集め続けています。

福山氏は、日本人初のYコンビネーター卒業生としても有名です。Yコンビネーターは、シリコンバレーで数多くのスタートアップにシード資金を提供する屈指のインキュベーターです。同社が開催する3ヶ月間のスタートアップ養成スクールは、これまでDropbox、Airbnb、Redditなど数々の有名企業を排出してきました。
スタンフォードに合格するよりもはるかに難しい競争を乗り越えて、日本人初のYコンビネーター生となり、AnyPerkのビジネスモデルを生み出した福山氏。ユーモア溢れる語り口で、これまでの経験を語ってくれました。

AnyPerk創業者兼CEO 福山太郎氏

そもそも、なぜ彼がシリコンバレーで起業を目指すことになったのか。それは高校時代にさかのぼります。1年間の交換留学生として、15歳で渡米した福山氏。日本人がだれもいない環境だったので、クラスメイトたちはさぞかし自分に興味をもってくれるだろうと楽しみにしていたものの、現実は「サムライはまだいるのか?」などとからかわれるだけ。大変なカルチャーショックを受けたそうです。そんな彼の生活を変えてくれたのがMLBで活躍するイチロー選手でした。「自分をからかったクラスメイト達が、自分と同じ日本人であるイチロー選手のことは尊敬している。自分もスゴイことをやり遂げて、いつかイチローみたいになりたい」と、シリコンバレーでの起業を夢見ます。

日本の大学を卒業後、再びシリコンバレーの地へと降り立った福山氏。「アメリカに行けばすぐに資金調達できるに違いない」と、意気揚々と100人以上の投資家に会ったものの投資してくれる人はおらず、住むところもありません。最初は24時間営業のファストフード店、タコベルの駐車場に車を停め、そこで寝泊まりしながらプロダクトの開発をする日々だったそうです。すぐ追い出されたそうですが(笑)

いよいよ日本に帰るしかない......とあきらめかけた頃、TechCrunch DisruptというスタートアップイベントでYコンビネーターの共同創業者であるポール・グラハム氏と出会います。そして狭き門を突破し、晴れてYコンビネーターのスタートアップ養成スクールに参加することになりました。
当時はSNS向けのデートアプリを開発していたそうですが、スクール開始1週間後にグラハム氏から「君たちは今回の参加者のなかで最悪だ」と酷評されてしまいます。卒業までの時間が迫るなか、何度もアイデアをピボットし、現在の福利厚生サービスへとたどり着いたAnyPerk。
世界各国から500人もの投資家が集まる「デモ・デー」では、140万ドルの資金調達に成功。その後も順調に資金調達を行いながら、サービスも右肩上がりに成長していきます。そして今では、60名以上の社員を抱え、全米でビジネスを展開するまでになりました。

Always Be Vulnerable.

常に情熱的にビジネスに向き合い、夢に向かって突き進んできた福山氏。そんな同氏が大切にしているのが"Always be vulnerable."という言葉だそうです。
"vulnerable"という単語を辞書で調べると、「脆弱な ・傷つきやすい ・無防備な」などと書かれています。しかし福山氏は「弱くあれ」と言っているわけではありません。ピタリとはまる日本語がなかなか思いつかないのですが、私自身は福山氏がこの言葉で表現しようとしているのは「しなやかであれ」ということではないかと感じました。

間違えたり否定されたりすることを恐れて、かたくなになってしまうことなく、必要以上に自分を大きく見せるもことなく、ありのままの自分を外の世界にさらすことで周囲の人や環境から多くのことを吸収する。かといって周りに流されるのではなく、自分を信じ、絶対に夢を実現するというゆるぎない信念を持ち続ける。"Always be vulnerable."という言葉に対して、そんな印象を持ちました。

福山氏は講演を次のように締めくくりました。
"やりたいことだけにフォーカスするのはリスキーだと言われることもありますし、多くの人が失敗したらどうするの?と心配してくれます。でも心配は無用です。全部うまくいかなくなったら、タコベルに戻ればいいだけですから(笑)"(筆者訳)

最後のセリフには、しびれました......。ものごとが描いていたように進まずお金も住むところもないという状況に陥った時、「駐車場に寝泊まりすればいいじゃないか!」とはなかなか思うことはできません。思うだけならまだしも、実行にうつせる人はそう多くないように思います(駐車場で寝泊まりすることの良し悪しは別として)。

福山氏の起業ストーリーには、このほかにもユニークなエピソードが満載でした。例えば、帰国直前に訪れたTechCrunch Disruptで高額な入場料を求められた時には、「日本人の通訳をしてあげるから」といってタダで会場に入り、そこで出会ったポール・グレアム氏に、開口一番「まずは日本で起業したら?」と言われた時には、「あなたがブログで『成功したかったらシリコンバレーに来い』と書いてあったから、わざわざここまで来たんだ。その発言の責任をとってくれ」と言って、Yコンビネーターへの道を切り拓きました(これらのエピソードには、会場も大爆笑でした)

常にクリエイティブな発想で困難を乗り越え、新たなチャンスを手にしてきた福山氏。軽快に語られるエピソードの裏に、実際は色々な覚悟があったのではないかとは思いますが(ご本人は否定されそうですが......笑)、「情熱さえあればどんなことでもできる」、「自分がしたいことをすることが何よりも大切」――自信をもって笑顔で語る姿には、本当に大きな勇気をもらいました。

講演後には、会場から「マイノリティーであることが、周りの人に何か影響を与えたと思うか」、「会社で"Equality"を保つためにケアしていることはあるか」などの質問が飛んでいました。
日本にずっと住んでいると、自分がマイノリティーであると感じることはほとんどありません。しかしこういった質問を聞くと、「アジア人はマイノリティーであり、マイノリティーがシリコンバレーで成功することはまだまだ当たり前ではない」ことを感じます。
そして「人種のるつぼ(最近では『人種のサラダボウル』と言われる方が多いようですね)」であるアメリカで、しかも日々イノベーションが起こっているシリコンバレーにおいても、今はまだ多様性が実現されているとは言い難い状況であることに、軽い驚きを覚えました。

余談ではありますが、この講演を聞いた後、私がエキスポ出展企業につたない英語で突撃インタビューができたのは、間違いなく福山氏のおかげです(笑)。刺激的なことばかりだったDreamforceの4日間ですが、福山氏の講演を生で聴くことができたことは特別に大きな財産となりました。また来年は違う日本人の起業家がDreamforceのステージで世界中の人に勇気を与えるような講演をしてくれたらいいな、と思います。

さて次回は、福山氏を含めた4人の"Minority Leader"によるパネルディスカッションの内容についてご紹介します。またジェンダー格差や人種格差の解決を目指すDreamforceの取り組みについても振り返ってみたいと思います。


「SaaSビジネスの今と未来」Dreamforce 2016 観戦記