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誰かに真剣に話している時、話を聞くべき人がその途中でスマホをいじりはじめたら、大抵の人は怒り出すでしょう。まして、それが上司から部下への指導の場等であれば、恐らくその上司は烈火のごとく怒り始めるのではないでしょうか。でもこの「常識」近い将来にひっくり返ることもあるかも知れません。

「神妙に聞いていること」が本当に誠実な対応か?

まず人の話を聞きながらスマホで何をしているかが問題です。
ここで「怒る側」の論理としては、他人の話を聞いているときに「別のことをするとはけしからん」という発想から来ていることがほとんどだと思います。

ところがいわゆるスマホネイティブの世代の一部は(良くも悪くも)「わからないことがあれば何でも条件反射的にすぐにスマホで検索し始める」という行動パターンを持っています。

つまり、相手の話に出てきた言葉がわからなかったり事実関係を調べたいときなどにそれを相手の話を聞きながら調べたり確認したりしているということです。そうなると、言葉も理解できない話を単に神妙に聞いている(ように見せる)のと、わからないことは(文字通り)その場ですぐに調べながら聞いているのとではどちらが「失礼」なのかはわからなくなってくるでしょう。

これからスマホに代わるデバイスとしてウェアラブル・コンピュータが発達してくれば、このような事象はさらに加速してくることになるはずです。自動翻訳もかなり実用レベルになってきた現状を考えれば、その場で様々な「画面」を見ながら会議や打合せをこなしていくことは必須になっていくと予想できます。そうなればむしろ、それらを一切使わずに「ひたすら相手の目をみて神妙にしている」ことが本当に誠実な対応なのかは疑わしくなってきます。

前述のような未来では、こんなことも想像できます。たとえば、取引先との打合せでどこかで見覚えのある人が出てきたとしましょう。そんなときに「こっそり検索」してみれば、3年前のどの打合せで同席した人かがわかり、すぐにそこからその時の議事録をウェアラブル上で引っ張り出して「前にお会いしたのは☓☓の件でしたよね」などという話が簡単にできるかもしれません。そうなれば、その場で誰だったか思い出せずに帰り道で諸々調べて「あっ、あの時のあの人だ」と思い出すのに比べていかに打合せをうまく進められたか、大きな違いとなって現れるでしょう。

テクノロジーが時間の使い方を変える

スマホのアプリの定番とも言えるEvernoteの創業者のフィル・リービン氏は「スナック化」(Snackification)という言葉で、テクノロジーの進化に伴う仕事の時間の「細切れ化」を表現しています。デスクトップPCの時代には、パソコン仕事と言えば腰を据えて2,3時間の単位でやっていることが普通だったものが、ラップトップPCになって移動時間や細切れ時間にPCを広げて一回の仕事の単位が「30分」に変化し、その分そのサイクルの頻度が上がってきました。

スマホでそれが一つの仕事の単位は「数分」になるかわりにそれが一日に何百サイクルも繰り返されるという形で仕事の進め方も大きく変化しています。それがウェアラブル・コンピュータになれば、さらに「数秒」✕「数千回」という因数分解になっても全くおかしくありません。そうなれば(自分にとって)暇な会議で「30分何もしないでぼーっとしている」というのはありえないぐらいの時間の無駄となるでしょう。

考えてみれば、ラップトップPCの普及によって会議中の「内職」は半ば公然のものとなってきました。むしろ最近では、多人数の会議で自分の「出番」が全体の本当の一部の会議等でPCも持たずにやってきて手持ち無沙汰にしている人は時間の使い方がわかっていない人にも思えることがあります。
むしろ余計な電話にも出なくて良かったり、暇な上司の雑談の相手をしなくて良い分、非効率な会議というのは「格好の仕事場」だと思っている人もいるのではないでしょうか?

「人が真剣に話をしているのに、手ぶらで私の目ばかり見ているとは何事か!」といって怒り始める人が果たして何年か先にはでてくるんでしょうか?