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経験は人をつくる

 「何事も経験してみなければわからない」とか「経験を積んで初めて一人前になる」とよく言われる。

 ことわざにも経験を重視するものはいくつもある。たとえば,「馬には乗って見よ,人には添うて見よ」ということわざは,「物事は実際に経験してみないとわからないということ」という意味であり,「習うより慣れろ」は,「物事は、人に教わるよりも自分で直接体験してゆく方が身につくということ」と説明されている(『広辞苑』)。「百聞は一見にしかず」ということわざも,人からいろいろと聞くよりも自分が一目見るという経験の方がよくわかるという意味である。

 英語では経験の重みをもっと直接的に表現したことわざがある。たとえば,"Experience is the father of wisdom"とか"Experience is the best teacher"は,経験の重要性を端的に表現している。

 経営者も従業員の経験を重視しているようだ。たとえば,日本航空はコロナ禍で乗務が減ったCAを他業種に出向させている。その狙いは,「経験を積む機会として前向きにとらえ...」とか「経験を持ち帰って...」将来の会社のために役立つ(朝日新聞2021.3.29)とされている。

経験は万能なのか?

 確かに,経験しなければわからないこともたくさんあるし,経験によって身につけられることもいろいろある。人を説得するのに自分の過去の経験を話す経験談が効果的なことは誰しも経験があるだろう。言われた方も,「経験者は語る」だから正しいだろうと思う。学識経験者とは,学識に優れた人という意味だし,逆に未経験者=未熟者というイメージだ。

 しかし経験はそんなに万能なのであろうか? 経験するとものごとの本質が見えてくるものだろうか? 経験したことをきちんと覚えているのだろうか?

 経験はきわめて評価が高いものなのだが,経験はもちろん万能ではない。それどころか逆に経験がアダとなってしまい,適切な意思決定を妨げることもある。今回から3回は,経験がもっている落とし穴について考えてみたい。その前に経験によっていろいろなことが学べるという「経験による学習」についてまとめておこう。

 

経験による学習(1)

 経験や体験が重視されるのは,経験によって,生きていく上でも仕事をする場合にも役立つさまざまな知識・知恵や技能が得られるからである。経験によってそれらを獲得することは,「経験による学習」と言われる。経験による学習は,私たちが何かを学ぶときにもっともよく頼る方法である。経験による学習があるからこそ,過去の成功や失敗から学ぶことができ,さまざまな技能を習得できるのである。

 経験による学習は,いくつか特徴的な性格もっているが,意識することはまずない。こういった特徴は経験による学習の利点であると考えられる。それらについて,ホガースとソイヤーの近著(2020)を参考にしてまとめてみよう。

 1.経験による学習は自動的に生じる。意識的・意図的に何かを学ぼうとか身につけようとしなくても,自動的に習得することができるし,経験からどのように学んだのかを意識することもない。経験による学習はただ生じるのである。

 2.経験による学習はすばやく生じる。たった一回経験しただけのことでもそれに対する意見を形成することができる。

3.経験による学習は,人に自信を与える。経験したことがある事態に対処するのは,初回より容易になることが多い。言い換えれば,経験が自信を生み出すのだ。対処法がわかるのは経験による学習の成果である。

経験による学習(2)

 4.経験による学習は持続的である。自転車に乗るとかスキーをするといった技能は,机上で習得することは不可能である。実際にやってみるという経験を経なければ身につけることができない。一方で,そのような経験によって身につけた基本的な乗り方や滑り方は,曲乗りや競技は別として,いったん習得すれば生涯忘れないと言われている。

 このような経験による学習によって私たちは専門性を獲得できるのである。将棋や囲碁のプロ,医師や看護師その他多くの専門家のもつ職人技といわれる技量の数々はほとんどが経験による学習の産物である。

 5.経験による学習によって,一つの領域から他の領域への知識の移転が行なわれる。簡単に言えば,ある領域で経験して学んだことが,他の領域でも通用するだろうと知ることができる。例を挙げれば,学校で学んだ他者との付き合い方は,おおむね職場でも適用できるだろうと考えることである。

 6.他者の経験からも学ぶことができる。自分の経験からはもちろんであるが,他者の経験からさえ学ぶことができるというのは,経験による学習の持つ重要な性質である。他の人が何かの理由で失敗したのを知ることで,自分は経験していなくても,実際に体験するときにどうすればよいのかをある程度知ることができる。 

「見たものすべて」が作り出す経験の落とし穴

 このようにいいことずくめに見えるのが「経験」であるが,経験には見えざる落とし穴もある。これらについて次回から考えてみたい。その前に,その背後にある共通の人間の認知の問題点を抑えておこう。

 以前にも触れたように,私たちは自分が見たもの,経験したこと,知っていることだけでものごとを判断しがちであり,見えないこと,経験していないことにまで考えがおよばないという性質をもっている。ダニエル・カーネマンはこういった傾向を「見たものすべて」(英語では"What You See Is All There Is"を略してWYSIATIと言われる)と名付けた。直訳すれば,「あなたが見ているものは,存在するすべてである」という意味であり,「見ていること」=「あること」なので,「見ていないもの」は「存在しないもの」と同義である。すなわち,人は,手元の情報だけを見てものごとを判断し,手元にないものを無視してしまうのである。カーネマンは,「見たものすべて」は人の認知の最大の欠陥であると言う。同様に,人には「見たいものだけを見る」という性質もある。世の中を客観的に広く見ていると思っていても,案外,私たちは自分の信じていることや自分の知識の再確認となる情報しか見ていないものなのだ。

 こういうわけで,人は「経験」を絶対視,あるいはそこまでいかなくても過大視することになるのである。次回はこの点を詳しく見ていこう。

参考文献

Hogarth, Robin M. and Emre Soyer, 2020, The Myth of Experience, Public Affairs.

カーネマン,ダニエル『ファスト&スロー』早川書房