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経験したことを正しく覚えているだろうか

 前回見たように,経験は数々のメリットをもたらしてくれる。そのためには,経験したことをある程度正確に記憶していることが重要なのは言うまでもないだろう。子供時代の記憶が,経験したことを正しく再現しているとは限らないことや,犯罪の目撃者の証言が,記憶が歪められることで不正確になってしまうことが多くの研究で明らかにされている。

 経験したことをどのように記憶しているかは,人々の将来の意思決定に重大な影響を及ぼす。たとえば,ハワイに行って楽しかったという記憶があれば,また行きたいと思うし,イヤな思い出が残っていれば,もう行かないという決断がなされるだろう。よい記憶が残っていれば,ハワイはいいよと人に薦めることもある。こういった例では,経験そのものではなく,「経験の記憶」がカギなのである。

 経験したことを,「楽しかった」とか「イヤだった」という感情とともに覚えていることはよくあるが,そのような評価はどのように決定されるのであろうか。

経験と記憶の不一致

 経験とその記憶が一致しないのは確かであるが,経験はどのように記憶されるのであろうか? これには2つの大きな特徴があることがわかっている。つまり,人々が記憶によって過去の出来事に対する評価を行なうときには2つの強い傾向があるのだ。

 (1)ピーク・エンド効果: 個々の経験を総合して全体を評価するのではなく,そのもっとも強い部分(ピーク)と最後の部分(エンド)の印象がきわめて重要である。

 (2)持続時間の無視: 出来事の時間的長さは,その記憶にほとんど影響しない。

 

ピーク・エンド効果と持続時間の無視:実験

 ドナルド・レーデルマイヤーとダニエル・カーネマン[2]が行なった,この分野の古典ともいえる実験を見てみよう。彼らは,結腸鏡を用いた検査を受けている実際の受診者154名に対して,苦痛の程度や検査全体の印象を調べた。受診者には検査中1分ごとに苦痛の程度を10段階で報告してもらい,検査後に全体的な評価や印象を聞くという方法である。

 図には2人の受診者AとBの報告結果が表わされている。横軸は検査の経過時間であり,縦軸は苦痛の程度を表わしており,1分毎に10段階で苦痛が報告されている。持続時間について見ると,受診者Aは8分間,Bは24分間である。図から明らかにわかるように,検査中の苦痛の総量(斜線部)は,AよりBの方がはるかに多い。ところが,検査終了後に尋ねると,Aの方がずっと苦痛だったと報告したのだ。このことから,苦痛の記憶には,持続時間は無関係であるし,苦痛の総量も関係ないことがわかる。

 なぜそうなるのだろうか。ここで,ピーク・エンド効果に基づいて見てみよう。ピーク時の苦痛は,AもBも8であるが,エンド時の苦痛は,A6,B1であり,ピーク+エンドは,B9,A15となり,Aの方がかなり苦痛を感じていたことがわかる。

 他の受診者の苦痛を総合的に見てみると,検査全体の印象は,苦痛の最大値と,検査の最後の3分間の平均的な苦痛の程度に左右されること,さらに,検査時間は4分から69分間と大きな差があったにもかかわらず,検査時間の長さは検査の評価とは関係がないことがわかった。まさに,「ピーク・エンド効果」と「持続時間の無視」が現われていたのである。

 カーネマンとレーデルマイヤーはさらに一歩進めて,検査が終わった時に,直腸鏡を直ぐに患者から引き抜かずに1分ほど放置して,その後ゆっくり引き抜くという措置をとった。この操作自体は不快ではあるが苦痛を伴うものではない。そしてこの措置が行なわれた者の検査全体の記憶による印象は,通常の措置をとった場合よりもかなり向上したのである。

他の経験でも生じる

 経験の記憶におけるピーク・エンド効果や持続時間の無視は,もちろん多くの事例で明らかにされている。旅行はもちろん,いちばん楽しかった経験が重要であるが,帰路の飛行機が大幅に遅延したり,道路が大渋滞だったりしたら,楽しい思い出も半減してしまう。旅行の日程が1日長かったとしてもそれほど大きな影響はないだろう。

 特定の人との人間関係にも当てはまる。長い間の淡々とした友人であっても最後にケンカ別れしたなら,その人との関係全体がよくない記憶となってしまうかもしれない。これはピーク・エンド効果の表われである。交友時間の長さも関係なくなってしまう。

 もちろんこれら以外にも数多くの経験で,ピーク・エンド効果と持続時間の無視は当てはまる。

 カーネマンは,過去の出来事は,映画のような連続的な流れとしてではなくスナップ写真のように断片的に記憶されるのではないかと指摘している。

原因

 経験のピーク時は,良いことにせよ,悪いことにせよ感情を強く刺激するであろう。感情が強く刺激されるからこそ,ピークなのである。感情が強く揺さぶられると記憶に残りやすいことがわかっている。そこで経験の記憶にとって,ピークの役割は大きい。もうひとつは,最近生じたことの方が記憶に残りやすいことである。出来事の最後に起こったことはより最近のことなので,記憶に残りやすいと考えられる。こういった記憶の性質により,ピーク時とエンド時の記憶が経験全体の印象を作るのである。

何が不都合か

 経験とその記憶が一致しないこと,特になどの特徴を見てきた。それが意思決定にとってどんな影響を及ぼすのだろうか? 

 旅行にせよ,コンサートにせよ,あるいは会社経営にせよ,サラリーマンにせよ,自分が過去に経験したことの記憶によってその活動を評価するし,その記憶に基づいて,将来の意思決定をすることは多い。以前行って楽しかったからまた行きたいとか,以前にうまくいった企画だからまた実行したいとか,過去の経験の記憶は将来の意思決定に多大な影響を及ぼしている。しかし,見てきたように,経験の記憶は経験そのものではないのである。ピーク・エンド効果や持続時間の無視といったバイアスがかかっていることを自覚しておかないと,自分自身にとっても企業組織にとっても最適とはいいがたい決断を下してしまうことになりかねないのだ。

 経験談とか「経験者は語る」という言葉があるように,何かを経験した人から体験を聞くと,よく理解できたような気になる。しかし,語られるのは,経験そのものではない,あくまで経験の「記憶」なのである。何であれ経験談を絶対視して判断するのは危険である。

応用可能性

 ピーク・エンド効果と持続時間の無視という性質を利用して,医療に役立たせることができることを見てみよう(カーネマン[1])。前述のような検査で受けた苦痛の記憶が,次回に同じ検査を受けるかどうかを決める大きな要因であろうから,言うまでもなく検査で苦痛を減らすことは重要である。検査時の苦痛を軽減すれば定期的な検査を受ける人が増加し,病気の早期発見・早期治療に結びつくとすれば,検査時の苦痛軽減は医療政策上も大きな意味を持っている。

 では,どんな検査法がよいだろうか? 2通り考えられる。

 (1)実際に経験する苦痛を小さくする:

 そのためには,ピーク時の苦痛を減らすことと,検査時間を短くすることがよい。

 (2)苦痛の記憶を小さくする:

 そのためには,ピーク時の苦痛を減らすこと。および一気に終わらせるより徐々に終わらせることがよくなる。時間を短くする必要はない。

 次に同じような検査を受ける決断をする場合や,自分が経験したことを他人に語る場合には,当然記憶に基づいていることになる。すると,ピーク・エンド効果や持続時間の無視という性質を考慮すると,(2)の方がよいことになる。

参考文献・資料

1. カーネマン,ダニエル(村井章子訳), 2012,『ファスト&スロー』早川書房

2. Redelmeier, Donald A. and Daniel Kahneman, 1996, Patients' Memories of Painful Medical Treatments: Real-Time and Retrospective Evaluations of Two Minimally Invasive Procedures, Pain, vol.66, pp.3-8.

図の出典:

http://www.progressfocused.com/2016/09/the-important-difference-between.html