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初期設定の力

 iPhoneにはアップルマップという地図アプリが予めインストールされているが,それよりグーグルマップの方が優れていることはよく知られている。しかし,あるデータによると,スマートフォンではグーグルマップよりアップルマップの方が3倍よく使われているという。理由は簡単で,アップルマップは予めインストールされているが,グーグルマップは自分でダウンロードしなければならないからである。最初に設定されている,つまり初期設定されているものはそのまま使われる可能性が大きいということだ。

 検索エンジンでも同じことが言える。多くの人はグーグルを使うが,ワンクリックだけでヤフーなど他の検索エンジンに変更できるのに,そうする人は少ない。グーグルは,パソコンやスマートフォンに初期設定されている検索エンジンとするために,年間10億ドルもつぎ込んでいるという。この場合には,グーグルにとっては最初から組み込まれていることが重要なのだ。

 また,より安い電力が手に入るし,それへの切り替えに大したコストがかかるわけでもないのに現在の契約を続けている人は多いし,1年単位の保険の契約は,期限が来ても他の保険を検討することなしにそのまま継続する人が多いことが指摘されている。 

初期設定効果とは

 人は初期設定からあまり変更しないという「初期設定効果」は,現状維持バイアスと言われるより広いバイアスの一種である。人は,自分のモノや地位や仕事や権利をいったん手に入れるとなかなかそれを手放したり,そこから離れたりできないものである。自分のアイディアや好みや習慣についても同じことが言える。

 この性質を利用して,人に選択して欲しいことを初期設定としておくと,他の選択肢に変更せずに初期設定が選ばれることが多くなり,選択者や企業や社会にとってより望ましい結果が得られることになり,「初期設定効果」と呼ばれている。

政策手法としての初期設定

 もちろん初期設定は公共政策や医療政策にも応用可能である。そもそもこの手法が最初に提案されたのは,公共政策の分野であった。

 たとえばよく知られた例として,臓器提供の意思表示がある。

 ヨーロッパには,市民の臓器提供希望者の割合が高い国と低い国がある。低い国(デンマーク4%,ドイツ12%,イギリス17%等)には冷たい人が多く,高い国(ベルギー,フランス,オーストリア等は90%以上)には温かい慈悲心を持つ人が多いというわけではない。単に,高い国では初期設定が臓器提供に「同意」であり,「非同意」を選ぶこともできるが,低い国では初期設定が「非同意」で,「同意」も選べるからにすぎないと考えられている。多くの人は初期設定から変えないのである。わが国も初期設定は「非同意」であるため臓器提供希望者は少ない。このような初期設定の有効性に基づき,フランスは2017年に初期設定を「同意」に変更したし,イギリスは近々,初期設定を「同意」に変える計画であると伝えられている。

 環境保護にとっても有益である。プリンターの初期設定を片面印刷から裏表両面印刷に変えただけで,紙の使用量が15%減ったという実験結果もある(Egebark and Ekstrom(2016))。コンビニやスーパーでレジ袋が有料になったが,袋の持参者は大幅に増加したと言われている。この方式は一種の初期設定である。買ったものを持参の袋に入れるのが初期設定であり,他の方法(レジ袋を買う)も選択可能である。この場合には,レジ袋が有料だから買わないという経済的インセンティブが働いているが,消費者はレジ袋を買うかどうかをいちいち計算しているのではなく,「初期設定は持参の入れ物」でレジ袋を買うこともできると考えているのではないだろうか。

なぜ初期設定は効果的なのか

 人はなぜ初期設定に留まってしまうのだろうか。主として4つの原因が考えられる。

1. 認知的怠慢 認知的ケチとか認知的怠け者と言われることもあるように,人は考えることが苦手なのである。考えるためには,集中力や意志などが必要であり時間もかかる。これにはたとえ物質的なコストはかかならくても,心理的エネルギーというコストがかかる。そういったコストを節約しようとするのは人間の性質なのである。そこで,初期設定から変更可能であるとしても,そのままにしておくことになりやすい。

2. 慣性 1番目とも関連があるが,人には何事であれ,現在の状態を維持しようとする傾向があり,物体の慣性と同じく慣性と呼ばれる。このため初期設定がなされると,その状態を維持しようとするのである。

3. 損失回避性 このブログでも以前に取り上げたように,人には利得よりも損失を重く見て,できるだけ損失を避けようとする損失回避性をもっている。新しいことに変更するのは,今の状態を失ってしまうつまり損失であるという恐れが伴う。この損失を回避したいがために現在の状態にこだわってしまうのである。

4. 「お勧め」と思う 製品のメーカーや政府が初期設定したことは,メーカーや政府が人々に推奨している設定だと思ってしまい,「お薦め」に従うのが合理的であると判断することで,初期設定にそのまま従うこともある。

自由選択より初期設定の方が優れている

 最初の選択肢が予め決められている初期設定に対して,選択肢が並んでいてその中から自由に選択できる方法を「自由選択」と呼ぼう。一般的に言って初期設定方式と自由選択方式のどちらが優れているのだろうか? 

 サンスティーン(2017)は,両方式のメリットデメリットを比較して,全体としては初期設定方式の方が優れているという。理由の一部を挙げれば次のようである。

 第1に,人々は,自由選択を認知的・精神的な負担だと考えていることである。タクシーに乗ったとき,運転手から「どの道にしますか」と聞かれて困ったことはないだろうか?選択を任されても困ることがあるのだ。初期設定はそのような負担を取り除いてくれる。

 第2に,自由選択は間違いを引き起こすかもしれない。人は合理的とは限らないので,自由に選択した結果,自分にとって必ずしもよくない結果を引き起こす選択肢を選んでしまう恐れがある。

 第3に,自由選択は第三者や社会に対して,害を及ぼすかもしれない。レジ袋有料化のように環境保護や資源の節約にプラスになるような初期設定を行なえば,自由選択では十分に配慮されるとは限らない面に対して配慮できるようになる。

 高齢者の新型コロナワクチン接種の予約がなかなかとれないので混乱が生じているという報道が多くあった。そこで,奈良県生駒市や新潟県上越市などの自治体は,ワクチン接種の日時や場所を指定して通知し,都合が悪ければ変更することもできようにした。福島県相馬市の例では,変更希望はわずか5%程度だったという。このように,初期設定として日時・場所を指定する方式をとる自治体は増えている。この場合には高齢者を対象にしているが,高齢者の認知的・精神的負担を軽減するという点で,初期設定がうまく機能した例である。

 ただし,自由選択にはあるが初期設定にはないメリットもある。それは自由選択は消費者や市民の学習を促すことである。知識や情報を得ないとよい選択ができない場合には,自由選択はそれを促す効果があるだろう。そういった人々の過度の負担にならない限りは,自由選択はメリットをもたらす。また,買い物のように,選択すること自体が楽しみや喜びをもたらす場合にも初期設定にはないメリットになる。

初期設定の乱用・誤用

 初期設定には利点が多いが,利用者や消費者にとってよい例ばかりではない。企業にとっては,買い手の行動を自社の利益にかなうように誘導することができてしまう。初期設定効果の悪用あるいは乱用といってよいだろう。たとえば,契約の自動更新,メールなどによる広告送付,情報提供を初期設定としていて,それを拒否することが難しかったり,気がつきにくい場合もある。また,1ヶ月間の使用額がある一定額を超えると,自動的にリボ払いになるように初期設定されているクレジットカードもある。

 このように企業が自社にとってメリットがあるが,消費者にとってはメリットになるとは限らない初期設定をすることは当然ながら避けなければならない。また,政府が政策手段として初期設定をするときには,市民の意向や意志を十分に尊重して行なわなければならない。そうでなければ政策手法としての有効性を十分に発揮できないであろう。

参考文献

Egebark,J. and M.Ekstrom, 2016, Can Indifference Make the World Greener?, Journal of

Environmental Economics and Management, Vol.76, pp.1-13.

Sunstein,Cass R., 2017, Default Rules are Better than Active Choosing(Often), Trends in

Psychological Sciences, Vol.21, No.8, pp.600-606.

Sunstein,Cass R., 2020, Behavioral Science and Public Policy, Cambridge U.P.