Fair_price 660.jpg

 ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーの貢献について、もう一つ考えてみよう。「公正(フェア)」という視点である。

 セイラーは、行動経済学者のダニエル・カーネマン、経済学者のジャック・クネッチと共同で、一般市民が、商品の価格や従業員の賃金、企業の利潤などに関して、どんな場合に「公正」あるいは「不公正」とみなすのかについて調査し、市民がそのように判断する理由を探った。

公正という概念は、古来さまざまな学問分野で研究されており、哲学や社会学、法学、経済学でも盛んに研究されてきたが、決定的な定義は存在しない。セイラー等はその考え方の一つを提示し、公正が損失回避や保有効果と密接な関係があることを明らかにした。

「公正」と「不公正」の境界を見る実験

 セイラー等は、次のような内容について一般の人に電話でアンケートを行ない、人々が価格の変動について公正とみなすかどうかを調査し、またそれがどのように判断されるのかを考察した。

 回答者はシナリオを聞き、そこでの企業の行為を「完全に公正」「容認できる」「不公正」「きわめて不公正」の4つから選択したが、集計は、前2者を「容認できる」、後2者を「不公正である」に分けてなされた。

質問1
 金物屋が雪掻き用シャベルを15ドルで売っていた。大雪が降った次の朝、この店はシャベルを20ドルに値上げした。

 【容認できる18%,不公正である82%】

 このように需要が急増した場合に、供給がすぐに増えないのであれば、価格が上昇するのは標準的経済学ではまったくふつうのことである。セイラーによると、標準的経済学を学んでいるビジネス・スクールの学生たちに同じ質問をしたところ、「容認できる」76%、「不公正である」24%という答だった。

彼らはエコノの考え方が染みつき、ヒューマンの感覚を忘れてしまったのだ。

 調査の結果分かったことは、ある行為や状態の変化が公正かどうかは、参照点(基準となる点)とそこからの移動の方向に基づいて判断されることである。したがって、参照点がどこにあるのかが重要となる。

 まず消費者は、いつもの慣れ親しんでいる価格は、自分たちの持っている当然の権利と考えている。言いかえれば現状の価格が「参照点」であって、そこから価格が上昇することは「損失」であるとみなす。権利を持っているとすれば保有効果が働き、損失回避性によって、それを失うことは、きわめて避けるべき事態となる。すると、それが「不公正である」という感覚を生むことになるのである。特に企業がコストの上昇によって値上げするのでなければ、消費者は自分たちの権利が侵害されたと受けとるのである。

質問2
 人気車種の供給が不足しており、購入希望者は2ヶ月待ちの状態である。ある自動車ディーラーは、今までは価格リスト通りの価格で販売していたが、この車種についてはリストより200ドル高く設定した。

 【容認できる29%,不公正である71%】

質問3
 人気車種の供給が不足しており、購入希望者は2ヶ月待ちの状態である。ある自動車ディーラーは、今までは価格リストの価格より200ドル値引きして販売していたが、この車種についてはリスト通りの価格で販売した。

 【容認できる58%,不公正である42%】

 質問2と3では、値上げ額が同じであるにもかかわらず、消費者の受けとる公正感はかなり違っている。質問2では、リストの価格が参照点となり、そこからの顧客にとっての損失は不公正であるとみなされている。

 一方、質問3では、参照点は不明確である。割引価格が参照点であるとすると、リスト通りの価格は損失であるが、リスト価格が参照点であるとすれば、得られなかった利得が生じることとなり、不公正感は小さい。この後者の見方をする人が多かったことになる。

「公正」であることの重要性

 このような一般市民の価格変化に対する公正感は、企業にとって無視することはできないであろう。

 大雪とか地震のような何か緊急事態が起こったときに価格を大幅に引きあげる方法は、短期的には企業に売上増加をもたらすであろう。しかし、短期的には売上は増加したとしても、顧客からの信頼を失うことになりかねず、長期的には売上の減少をもたらすことになろう。この意味で、消費者や取引相手が何を公正と考えるかは、企業にとって無視できない重要な課題である。

 ウーバーという車のシェアを行なう企業が注目を集めている。ウーバーの利用料金設定方法の特徴は、需要に応じて極端な価格差をつけることである。ある地域で需要がきわめて高いときには、利用料金が通常料金に比べて急騰する。このような価格設定方法は急騰価格制(サージ・プライシング)と言われる。この価格差は、通常料金の10~15倍にもなるという。しかしこの方式に対しては、「不公正だ」として利用者や潜在的利用者からの抗議が殺到している。

 セイラーは、10倍もの差は不公正とみなされる可能性が高く、3倍程度に留めておくべきだと指摘する。ただし、この3倍という数字に特に根拠はなく、「ざっくりとした印象だ」(『行動経済学の逆襲』P.202)という。

一方、NFL(全米フットボールリーグ)は、優勝決定戦である「スーパーボール」では、短期的には価格引き上げで収益を増加させることはできるが、そうせずに長期的な視野をもって戦略的に価格を低い水準に決めているという(Krueger,Alan B., 2001, "Seven Lessons about Super Bowl Ticket Prices)。同様に長期的な視点から、需要が急増しても価格を引きあげることはしない企業は数多い。

 最近はビジネスホテルや観光ホテルが、平日と週末あるいは繁忙期と閑散期できわめて差のある価格設定を行なっていることがある。たとえば、週末で観光客の利用が多い時には、平日より2~3倍の価格設定である。飛行機の運賃も、繁忙期と閑散期では大きく違う。ホテル料金や飛行機の運賃は、セイラーの言う3倍程度に収まっているのは確かだ。だから、それほど問題になることはないのだろう。

 短期的に利益を上げるのではなく、それを少し犠牲にしても顧客との長期的な関係を大事にするならば、消費者の価格に対する公正感は、企業にとって無視しえない重要な視点なのである。

参考文献
リチャード・セイラー(遠藤真美訳)2016『行動経済学の逆襲』早川書房
The New York Times, Feb1, 2001
Krueger,Alan B., 2001, "Seven Lessons about Super Bowl Ticket Prices"