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今年度のノーベル経済学賞は、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授に授与された。授賞理由は「経済学と心理学の統合」であり、貢献の具体的な内容としては、「限定合理性」「社会的選好」「自制心の研究」の3点が挙げられている。

 限定合理性とは、人間は完全に合理的に判断してものごとを決めるのではないという意味である。この考え方は行動経済学のもっとも重要な基盤であり、標準的な経済学(新古典派経済学)との違いが際立つ点である。

 セイラーは、限定合理的で他者にも配慮する普通の私たちを「ヒューマン」とよび、標準的経済学が想定する、合理的で私益だけを追求する、実在しない架空の人間を「エコノ」と呼んで対比的に示している。この用語法は便利でわかりやすいので、このブログでも今後使っていきたい。

 授賞理由のうち、社会的選好と自制心についてはいずれ取り上げる機会があると思うが、今回は、限定合理性の中でも、人のお金の考え方や決め方に大きくかかわる「メンタル・アカウンティング」について考えてみよう。

ちなみに、メンタル・アカウンティングという用語法もこの現象を初めて考察したのも、セイラーである。


メンタル・アカウンティングとは?

 メンタル・アカウンティングは、「心の家計簿」とか「心理的勘定体系」と言われることもあるが、私たちヒューマンがお金に関する行動を評価し、管理し、記録するために無意識に用いる心理的な操作である。

 私たちは帳簿や家計簿で、支出を「食費」「娯楽費」「交際費」などに分類し、収入も「労働所得」「棚ぼた所得」などと分けて捉え、貯蓄も「教育費」「老後資金」「非常用貯金」などなどと別々に考えてお金に関する意思決定をそれぞれの勘定項目内で完結するように行動している。

 それぞれの項目が赤字か黒字かを評価するときには、時間の枠組みを設定してその中で考えるのもメンタル・アカウンティングである。

 つまり、私たちヒューマンは、お金に関する意思決定をする時には、さまざまな要因や選択肢を総合的に評価して合理的に決めるのではなく(エコノはそうする)、比較的狭い枠組み(フレーム)を作り、そのフレームの中で決定を行なうことである。

 そのフレームが上で挙げたさまざまな勘定項目であるが、お金の意思決定をする場合にはその項目(フレーム)にこだわってしまい、柔軟な、言い換えれば合理的な決定ができなくなってしまうのである。


「貨幣の代替性(ファンジビリティ)」との矛盾

 たとえばこんな実験例を見てみよう。次のような質問に答えてもらった。

A) コンサート会場で、5000円の当日券を買おうと財布を開けたところ、5000円失くしていることに気づいた。
幸いまだお金はある。そのとき、5000円出して当日券を買うか?

B) 前売券を5000円で買っていたが、会場でチケットを失くしていたことに気づいた。当日券も5000円で買えるが、買うか?

 被験者からの回答を見ると、Aの場合にはかなり多くの人が「買う」と答えたが、Bの場合には「買う」と答えた人は半数以下であった。

 この違いはなぜ生じたのだろうか?
 コンサートのチケット代は「娯楽費」のような勘定項目に含まれるが、Bでは同じコンサートに1万円払うことになり、「ちょっと高すぎるのではないか」と考えためらわれる。しかし、Aでは、別項目の支出となり「買ってもよい」と判断する人が多いと考えられる。

 こういった判断は、エコノはしないと想定されている。標準的経済学の用語では「貨幣の代替性(ファンジビリティ)」といわれ、お金には色がついているわけではなく、どんな経過で得られて、どんなことに出費しても同じお金なのだから、完全に他の用途に代替可能であるという考え方である。この考え方に則れば、上の例ではAでもBでも選択は一貫しているはずである。


当たり前の中に存在する不合理を知る意義は大きい

 宝くじに当たるとか、ギャンブルで勝つなどの思いがけない収入、つまり「棚ぼた」収入は、コツコツと汗水垂らして働いて得た収入とは別の「あぶく銭」勘定に入れることも多い。棚ぼた収入は、再びギャンブルに費やしたり、一晩でパーッと使ってしまうといった浪費傾向が強いこともわかっている。

 ある実験によると、スーパーに買い物に来た客に「10ドル割引」券を渡したら、そうでない人より購入金額が総額2ドル多いという結果も得られた。割引券で買えるという棚ぼた収入があったことで、かえって総支出が増えてしまったのである。

 企業でも政府でも、ヒューマンにお金を使わせようと思ったら、棚ぼた収入を増やせばよいのかもしれない。

 たとえば、税金は、とりあえず多く取って後で還付すると、棚ぼた的な臨時収入と捉えられ支出が多くなるだろうし、給料や手当より、臨時ボーナスの方が効果的であろう。宝くじは、当選金を、5億円1本よりも、5000万円を10本とした方が当選者の満足度も経済効果も大きいのではないだろうか。

 私たちは、しばしば住宅ローンを抱える一方で、学資保険で子どもの学費をせっせと貯えている。しかし、よく検討すると、住宅ローンの金利の方が学資保険の利回りよりも高いことがしばしばある。そうであれば、学資保険で積み立てる資金を住宅ローン返済に充てた方が合理的である。しかし、老後の貯蓄と並んで学資保険はなかなか手をつけがたい貯蓄である。    

   

 私たちヒューマンが「お金をどんな時間の単位で捉えているのか?」ということも、メンタル・アカウンティングで説明できる。勘定集計の時間単位は、1日、1月、1年......いろいろとありうる。

 ある調査によると、競馬では、その日の最終レースでは穴馬狙いが多くなるという。この理由は、競馬(だけではないが)の勝敗や損得を1日単位で捉えていて、その日のそれまでの負け分を最終レースで一気に取り戻そうとする人が多いからと考えられる。競馬の勝敗を判定する時間単位は、1ヶ月でも1年でも良いのに、1日単位で考える人が多いのだ。やはり合理的とはいいがたい。

 違う例として、「青春18きっぷ」がある。このきっぷは、5回分で11,850円である。1日当たり2,370円分以上乗れば元が取れると考えて、乗車計画を立てる人も多いのではないだろうか。

 しかし、5日合計で11,850円分以上乗ればよく、毎日2,370円以上乗る必要はない。ここでもメンタル・アカウンティングは合理的思考を邪魔している。

 当たり前と思ってよく考えてこなかったお金の勘定項目などにも、不合理な面が多々あるのだ。もう一度見直すと、お金についての悩みが少しは解消し、生活の質の向上につながるのではないだろうか? 企業や組織では「予算主義」の弊害を軽くすることができよう。