お金で幸福は買えないとか、お金は魅力的だが魔力もあるといった指摘は目新しくない。日本では古来、子どもの前ではお金の話はしないという習慣があった。今はその習慣は薄れているかもしれないが、お金は何か不浄なものであり、子どもの前でするような話ではないと考えられていたのだろう。

 確かに、お金のためなら名誉や自尊心も捨てるし、人殺しまでしかねないのが人間だ。一方で、お金さえあればそこそこの幸せは得られるし、避けられる不幸があるのも事実だ。

 いったいお金には物が買える以外にどんな力があるのだろうか。虚栄心や権威の象徴だったりすることは誰にもわかる。しかし実は、お金の怖さは、誰も意識せず、誰も気がつかないうちに私たちの考え方や行動に影響を及ぼしている点にある。

 このようなお金の持つ魔力は、心理学と経済学の融合によって生まれた行動経済学によってあぶり出されている。数回に分けてこの点を見ていこう。

態度や行動を変えることもある「プライミング効果」とは?

 まず「プライミング」とか「プライミング効果」という言葉から説明しよう。「プライミング」とは、意識的または無意識に何かを想起させることである。人は、単に目に入るだけのものや、身の回りにあるだけのものに、まったく気づくことなく、もちろん無意識のうちに、影響を受けるということである。これをプライミングされるというがあるが、プライミングされると、態度や行動が変わることがある。これを「プライミング効果」という。よりわかりやすく、「呼び水効果」とか「引き金効果」と言われることもあるが、ここではプライミング効果と言うことにしよう。

 

 さまざまなプライミング効果があることが、実験や実証を通じて明らかにされており、私たちの想像を超えた影響力を持っていて興味深いが、ここでは簡単に触れるに止めよう。現代社会や消費者に関連あることとして、お金やCMや店の看板などもプライミング効果を発揮するのである。

 まず、心理学者のバージらによるこんな研究がある。テレビで食べ物のCMを見せられると、子どものスナック類の消費量が45%も増えたし、大人であってもスナック類の消費量は増加したと言うのだ。テレビでCMをしている商品そのものの消費量が増えたのならCMの効果があったわけだが、それだけではなくそれに類似の食べ物全般の消費量が増えたのである。

 つまり、食べ物のテレビCMは、その商品のブランドを覚えさせるという効果以外に、食べ物自体の消費量を増やすという影響を及ぼすのだ。視聴者はまったく無意識にプライミング効果にさらされていることになる。

 また他の研究では、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキンなどのファストフードの看板(の写真)を見ただけで、実験参加者は、時間が無くて急いでいるように感じるようになったという研究もある。

 私たちは、急いでいるからファストフードを食べると思っているが、もしかしたら逆なのかも知れない。というよりファストフード=「急いでいる」と結びついてしまい、ファストフードを連想させられただけで、つまりプライミングされただけで、時間が無い、急いでいると思ってしまうのだ。

 さらに、ファストフードによって私たちは、簡単に手に入る喜びを重視するようになり、私たちから忍耐力を奪い、お金を節約するという気持ちさえなくさせると警告する研究者もいる。



お金をプライミングされると、人の行動はこう変わる

 本題に戻り、心理学者のキャスリーン・ヴォーズらの行なったお金のプライミング効果に関する一連の実験を紹介しよう。なかなか面白く、かつ意味も深い実験研究である。

 手順としてまず実験参加者を2つのグループに分ける。1つのグループは、お金を意識させられる。たとえば、お金に関する単語を完成させるとか、お金に関する柄の、コンピュータ画面のスクリーンセイバーやポスターを見せられるなどである。もう1つのグループではそのような操作は行なわない。前者のグループでは、お金プライミングが行なわれたと言うことができる。

 ある実験では、参加者は難解な課題を出されたが、第三者に助けてもらうこともできた。このとき、助けを求めるまでにどれくらいの時間一人で作業したのかを計るのが目的である。すると、お金プライミングが行なわれたグループの方がそうでないグループよりも、一人で頑張る時間が長かったのである。

 次の実験では、他の実験参加者の作業を手伝って欲しいと依頼される。お金が視界に入った参加者は、そうでない人よりも手伝う時間が短かった。さらに別の実験もある。実験参加者が作業をしている側を通りがかった人(実はサクラ)が、誤って鉛筆をばらまいてしまう。参加者は、サクラが鉛筆を拾うのを手伝うだろうか。やはりお金を目にしたグループは、そうでないグループよりも拾った鉛筆の本数が少なかったのである。

 別の実験では、一人旅など1人で行なう活動とグループで行なう活動の中から、どちらを選ぶかが尋ねられた。すると、お金プライミング・グループはその他のグループに比べて、単独行動をずっと好むようになったのである。

 また、さらに別の実験では、参加者は、他の参加者と親しくなれるように会話をすることが課題だと告げられた。参加者は互いに椅子ごと移動して、話をするように言われた。ここで自分の椅子と相手の椅子との距離を測ろうというのが実験の目的である。参加者の他者への親密度が現れているという訳である。紙幣のスクリーンセイバーを見たグループは何も見なかったグループに比べて、話をする時の自分の椅子と相手の椅子との距離には平均1.5倍もの差があった。お金は他者との距離をより取るように働くようだ。

 こうした一連の実験によって、お金プライミングをされる、つまりお金を意識させられたり、お金が視界に入るだけで、他者に援助を求めずに自力で解決しようとすることが多くなり、他者を援助することが少なくなり、他者と距離を保とうとするという傾向が見られた。お金があると、自分は有能で力があると感じさせ、他者に依存せず、少々利己的になるのである。



お金のプライミング効果から成果主義"失敗"の原因を考える

 お金をプライミングされるとなぜこんな効果が表れるのだろうか? その原因をヴォーズらは「自己充足感」のためであるとしている。お金は人に自己充足感を与えることになり、人はそれにしたがった行動を取るようになると彼女らは述べている。自己充足感があると、個人的な目標を達成するために努力し、他者から距離を取るようになり、逆にお金がないことは不十分さを感じさせるのである。

 このような研究は、お金が人を利己的にすると解釈できるのであろうか。肯定する研究者もいるが、ヴォーズたちが述べているように、それは違うであろう。利己的な人は、難しい課題を与えられれば直ぐに助けを求め、必要以上に課題に取り組むという考えは拒否するはずだから。

 成果主義はうまく行かないとしばしば言われるが、その原因や弊害の一端はこの辺にあるのかも知れない。お金をちらつかされ、意識させられれば、一人での行動を好み、少々利己的になり、面白さや倫理観からの行動が減ってお金目当てになるのである。

 現代のようなお金蔓延・お金万能社会は私たちを確実に変えていく。お金を使わない社会はありえないが、悪影響を少なくするために、お金の持つ魔力について真剣に考えなければならないだろう。