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不正や不正直,非倫理的行動を防ぐためのもナッジは有効な方法である。今回はそれについて考えてみよう。
 以前のこのブログで触れたように,通常,不正は合理的計算の結果,不正行為をした方がしない場合よりメリットが大きい場合には不正を働くとされている。すなわち,

「不正から得られる利益」×「発覚・処罰されない確率」>「正しい行為から得られる利益」

ならば,不正を行なう,というのが通常の見方である。

 

 このような「合理的不正モデル」は必ずしも成立しないことは,やはり以前にこのブログで見てきた。たとえば,参加者が簡単に不正ができるような設定で一種のクイズを解き,成績によって報酬が与えられるという実験がある。この場合でも,実験参加者は,不正をしないことが多かったのである。もちろん,全員がまったく不正をしないわけではない。しかし不正行為の割合は20~30%程度だったのである。さらに,報酬が高くなったり,見つかる確率が小さくなるという設定で同様の実験を行なっても,不正行為の割合はほとんど変わらなかったのである。合理的不正モデルは成り立たないとしても,どうやら一定程度の不正というのは,利益や不利益とは無関係に生じるようなのだ。

 実際にどんな場合に不正が起こるのか,その原因は何か,防ぐ手段はあるのかということを中心に考える「行動倫理学」という新しい研究が進展している。従来の倫理学は,「人間どう生きるべきか」とか「正しいとはどういうことか」といった哲学的テーマが中心であったが,行動倫理学は,行動経済学の考え方に大いに影響され,不正行為の実証研究を中心としている。

 この行動倫理学の研究によると,人は,上のような合理的計算の結果として不正を働くこともあるが,そうではなくしばしば無意識のうちに不正をしてしまうということがわかってきた。その背後には無意識や直感がある。このブログで何度も登場した用語である,直感や感情を意味するシステム1と,論理的・合理的思考を意味するシステム2ということばを借りれば,不正行為はシステム1を原因とすることがよくある。行動倫理学については別の機会に詳しく触れるとして,ここでは行動倫理学で重視する,ナッジによって,つまり選択肢に対するほんのちょっとした工夫によって不正を防止する方法について見ていこう。

 不正を防止する方法の実験例

①目の力(Nettle et al.2012)
 イギリス・ニューカッスル大学では,自転車置場での盗難が多かった。2009年は70件,2010年は68件盗難が発生していた。そこで,実験したのは,「人の目」の力である。複数箇所の自転車置場から1カ所を選び,図1のような目の写真を自転車置場の壁に貼っておいた。その結果,実験対象の自転車置場では,1年間の盗難件数が,実験前の39件/年から,実験後には15件/年と62%減少したのである。一方,何の処置もしなかったその他の自転車置場では,盗難件数が実験前には31件/年であったのが,実験後には51件/年と65%増加したのであった。ただの「目」の写真が,その場での盗難を思いとどまらせたのは間違いない。「誰かが見ている」という意識が抑止力として働いていたのである。このようなちょっとしたナッジであっても,大きな効果が得られることがある。

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図1(出典:https://doi.org/10.1371/journal.pone.0051738.g001)



②誓約署名欄の位置(Shu et al.2012)
いろいろな契約書や申告書には,「私は虚偽申告をしていない」とか「事実だけを記入した」との誓約文に署名を求められることがある。多くの場合には,申告書の最後に署名欄がある。ところが,この署名欄を書類の頭の方に置いて,最初に署名させてから,申告内容を記入させると不正申告が減ることが確かめられている。

 Shuらは一連の実験を行なって,署名が申告書記入の前と後で違いがあるのかを確かめた。参加者は,実験後に成績などを書類に記入するのだが,自己申告なので不正をする余地がある。そこで参加者はランダムに3つのグループに分けられた。「不正をしない」という署名を書類記入の前にするグループ,それを後にするグループ,署名を全くしないグループである。参加者は実験者から,この実験の報酬は通常より高いので,後で獲得額に対して課税されると告げられた。その後,参加者はまず簡単な算数パズルを5分間で20問解いた。正解1問につき1ドルの報酬と参加費が得られる。参加者は実験後に解答用紙と正解数を自分で記入した紙を提出した。その後,課税用紙に自分の獲得額と,実験会場に来るためにかかった時間と交通費を自己申告で申告書に記入した。つまり,参加者は不正をする機会が3回ある。まずパズルの正解の申告,次に獲得した金額の申告,そして交通費の申告である。

 それぞれの申告において,3つの異なる条件によって,正しい申告がなされたのはどのグループであっただろうか? 表1には,それぞれのグループの虚偽(過大)申告の割合(%),差の大きさ,交通費申告額それぞれの平均が記されている。

成績申告 課税申告との差 交通費申告額(ドル)
前署名グループ 37 0.77 5.27
後署名グループ 79 3.94 9.62
無署名グループ 64 2.52 8.45

表1

 署名を最初にするグループの不正申告がもっとも少なく,後にするグループでは不正は多く,署名を全くしないグループとほぼ同じであった。

 このような結果が得られた原因は,次のように考えられる。自分は倫理的で不正をしないと思っている人は多い。人にそれを意識させることで,不正を減らすことができるので,「不正をしない」という意味で署名させることでその意識を呼び起こすことができる。しかし,書類を書いてしまった後では遅すぎるのだ。署名なしの場合と変わりないのだ。書類を書く前に,倫理意識を呼び起こすことで不正を減らすことができるのである。

③一括評価にする(Bazerman et al.2011)
 複数の選択肢の価値や優劣・善悪を判断する場合には,複数の選択肢をまとめて比較しながら評価する「一括評価」と個々の選択肢について評価する「個別評価」とがある。この評価方法に関して,個別評価よりも一括評価の方が,システム2を活性化させ,したがってより理性的・合理的な判断が可能であることがわかっている(このテーマについては別に取り上げる予定である)。

Bazermanらは,医者が利益相反がある場合,すなわち,医者としてとるべき行動と,自己の利益追求行動が相反する場合には,公正な判断のためには一括評価が重要であることを実験的に示した。それを見てみよう。

 彼らは,次のような状況を設定して,実際に医者たちに聞いた。

 「医者が,標準的な治療方法を選ばずに,医者にとって利益のある利己的な治療を選択し,そのため次のような結果が生じたとする。

・状況A:患者の症状は悪化し,数週間後に手術を受ける必要が生じた。手術の後は,痛みがあり動作が不自由になるという長期の影響があることが懸念された。

・状況B:患者の症状は好転し,次第に痛みも取れ,動作にも影響はないと期待できる」。

 「A,Bどちらが非倫理的と考えられるか」というのが質問である。

 結果は,両者を別々に評価する個別評価の場合には,Aは非倫理的であるという回答が,Bは非倫理的であるという回答よりずっと多かった。これに対して,両者を同時に評価する一括評価の場合には,どちらも同程度に非倫理的であるという回答が65%を占めた。

 この実験の場合,個別評価では,結果バイアスが生じているのである。つまり,Aは結果が悪いから,医者の判断は利己的で不適切とみなされている。これに対してBは,結果が良いから医者の判断は適切と考えられている。しかし,一括評価では,結果は異なるものの,どちらももともとは医者の判断は利己的で不適切であるという結論が導かれていると考えられる。つまり,個別評価より一括評価の方が,より公正に判断できるのである。

 このように,ちょっとした選択肢の提示の仕方が,選択行動に大きく影響を及ぼすことがある。このときに,選択肢をどのように示すか,つまりどうナッジするかがより公正な判断に影響を及ぼしたり,不正行為を防止するのに役立ったりするのである。

 こういったナッジにも残念ながら弱点がある。たとえば,ナッジの長期的効果は未検証であるが,場合によっては,疑問が残る。たとえば,①であげた「目」の効果については,

学習によって,捕まる確率が高くないことを知ってしまう,また,同じ刺激が続くと慣れてしまうということから,長期的にはあまり効果がないことが予想される。

 

 不正防止というと,倫理綱領を作る,倫理教育をする,罰則を重くする,監視を強化するといった方法がすぐに思いつく。しかしここで挙げたようなナッジを用いる方法は,それらより効果的だったりコストが小さくてよいといった利点がある。ナッジの利用方法をもっと検討すべきであろう。


参考文献

・Bazerman,Max and Francesca Gino, 2012, Behavioral Ethics: Toward a Deeper Understanding of Moral Judgment and Dishonesty, Annual Review of Law and Social Science.Vol. 8, pp. 85-104.

・Bazerman,Max, Francesca Gino, Lisa L.Shu and Chia-Jung Tsay, 2011, Joint Evaluation as a Real-World Tool for Managing Emotional Assessments of Morality, Emotion Review, Vol. 3, No.3, pp.290-292.

・Nettle,Daniel, Kenneth Nott and Melissa Bateson, 2012, 'Cycle Thieves, We Are Watching You': Impact of a Simple Signage Intervention against Bicycle Theft, PLOS ONE pp.7-12.

・Shu,Lisa L., Nina Mazar, Francesca Gino, Dan Ariely and Max H.Bazerman, 2012, Signing at the Beginning Makes Ethics Slient and Decreases Dishonest Self-Reports in Comparison to Signing at the Enc, PNAS, Vol.109, No.36, pp.15197-15200.