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SDGsとナッジ

 前回述べたようにSDGsのためのナッジはいろいろ考えられるが,特に効果があるとされているのが初期設定,社会規範,情報フレーミングの3種類である。

 初期設定とは,前々回のこのブログで説明したように,最初に何も意思決定をしなければ,自動的に選ばれる選択肢のことである。そこで見たように,多くの人は初期設定された選択肢をそのまま選ぶという意味で,初期設定は大きな威力を発揮する。

 社会規範とは,社会で他の人がどんなことをしているかに多くの人が従うことを意味している。単に同調性とも言えるが,多くの人がしていることが「規範」,つまり「すべきこと」と捉えられるので,この名がついている。

 情報フレーミングとは,情報がどのように表現されて,選択者に示されるかである。これが選択者にとって重要な意味をもつことは想像に難くない。たとえば,手術の成功率90%と言われるのと,失敗率10%と言われるのとでは,手術を受けるかどうかの判断が分かれることもある。

SDGsのための初期設定とは

 この中から,今回は初期設定について詳しく見てみよう。今回はSDGsに関連の深い初期設定について見てみよう。SDGsに関連の深いと言ってもSDGsには多様な目標が掲げられている。初期設定が特に有効であると考えられていて,実例や実験例が多くあるのは,主としてエネルギーや地球環境に関わることである。SDGsの17の目標の中でいえば,

 【目標7:エネルギーをみんなに,そしてクリーンに】

 【目標13:気候変動に具体的な対策を】

 【目標14:海の豊かさを守ろう】

 【目標15:陸の豊かさも守ろう】

という4つの目標である(蟹江2020)。まとめて表わせば,「地球を守ろう」「グリーンな世界を作ろう」ということになろう(もちろん,他の目標達成のためにナッジを適用することもできる。それらについては後の回で扱う)。

 このようなナッジは,緑を守るという意味を込めて「グリーン・ナッジ」と呼ばれている。時には初期設定(デフォルト)だけを取り上げて,「グリーン・デフォルト」と呼ばれることもある。

グリーン・デフォルト:いくつかの例

 グリーン・デフォルトとしてもっとも単純な方法は,エアコンの温度を,暖房の時は低めに,冷房の時は高めに初期設定するといったことである。いくつかのグリーン・デフォルトについて少し詳しく見てみよう。

・プリンターの初期設定を片面印刷から裏表両面印刷に変えただけで,紙の使用量が15%減ったという実験結果を見てみよう。エゲバルクとエクストロム(2016)は,スウェーデンの18学部も有する大きな大学で,プリンターの初期設定を片面印刷から裏表両面印刷に変えるというフィールド実験を行なった。どうしても片面印刷がよいという人はボタンを押すだけで,つまりほぼコストゼロで片面印刷に切り替えることができた。

 この実験で初期設定を片面印刷から両面印刷に換えた場合の,使った紙の枚数と印刷したページ数との比率(使った紙の枚数/印刷したページ数)を見てみよう。この比率が1であればすべて片面印刷であるし,比率が0.5であればすべて両面印刷となる。初期設定が片面だった時の比率は0.85であったのが,両面印刷に変更してからは0.73となり,その後実験を行なった25日間この比率はほぼ変わらなかった。つまり,最初から両面印刷を選ぶ人もいるが,初期設定を変えたことで,1/3が片面から両面に変わったのである。

 これと比較するために,両面印刷を推奨するという掲示をした場合には,この比率はほぼ変わらなかった。単なる推奨では,片面を選んでいた人が両面印刷を選ぶことはほぼなかったのである。

 また紙の使用量は,平均すると15パーセント減少したこともわかった。この場合にも,単に両面印刷を推奨しただけでは,紙の使用量に変化はなかった。また,実験期間25日間で15,000枚もの紙が節約できたという。この間,印刷されたページ総数に変化はなかった。つまり,当然ながら,印刷しようという意欲が減ったわけではなかった。

 論文のタイトルが示しているように,このような一見ささいな工夫でも環境の持続可能性に貢献できるのである。

・エネルギー源特に電力は,太陽光・風力などの再生可能資源から作られる「グリーン」なものと,化石燃料を用いる「グレー」なものがある。両者が選択可能なとき,グリーンなエネルギー源を選ぶことがSDGsにとっては望ましいことは言うまでもない。

 ドイツでどうしたらグリーン・エネルギーを多くの家庭に選択してもらうことができる

かについて実験研究が行なわれた(ピチャートとカツィコプーロス2008)。この研究自体はすこし古いものであるが,内容は現在でも意義を失っていない。

 調査をすると多くの人がグリーンなエネルギーを使いたいと答えているが,実際にはドイツ全体ではグリーン・エネルギーの利用者は1%程度であった。おそらく日本で調査しても同様であろう。しかしドイツでは,ある2つの地域では90%以上の家庭がグリーン・エネルギーを使っている。この理由は簡単である。2つの地域では,グリーン・デフォルトなのだ。

 ある地域では,太陽光電力と他の再生可能エネルギーによる電力が初期設定であり,他の源からの電力も選択できた。しかし,他の電力を選択した家庭はほぼ0%であった。別のある地域では,選択肢は3つあり,初期設定はグリーンであった。グリーンの程度は劣るが約8%安い選択肢もあった。3番目の選択肢はグリーン度は初期設定よりも高かったが,価格も約23%高かった。およそ94%の利用者は初期設定をそのまま使用し,より安い選択肢に切り替えたのは4.3%に過ぎなかった。どちらの例も初期設定の力を物語っている。

・2009年にワシントンD.C.で開かれた「行動,エネルギー,気候変動コンフェランス」において面白い実験が行なわれた。このような大きな会合があるとき,会場のレストランでは通常の食事が用意されるが,ベジタリアン用の食事を要求する参加者が5-10%程度いると言われており,それに応じた準備がされている。しかしこの会合の主催者は発想を逆転し,ベジタリアン用の食事を初期設定として,肉を含む食事を選ぶこともできるようにした。すると,約700人の参加者のうち80%が初期設定であるベジタリアン用の食事をとったのだ。もともとこんなに多くのベジタリアンがいるとは考えられないから,初期設定通りの食事を選んだ人が多かったことになる(リンコン2020)。

 食べ物のような自分の嗜好に従う選択をする場合でも,初期設定は効果を発揮したのである。人は食べるものを必ずしも自分の好みに従うのではなく,習慣やその場のルールに従って選ぶこともあるので,初期設定されているベジタリアン用の食事をとることを選んだのである。食肉を作るのに必要なエネルギー,水,栄養,場所は地球環境に大きな負荷を与えているので,このような一見些細な工夫でも間違いなく食や環境の持続可能性にプラスになろう。

小さな工夫でもOK

 電力に関するグリーン・デフォルトを導入するには政策的な議論や合意が必要なので少しハードルがあるだろう。しかし,両面印刷やベジタリアン食の例のように,コストがほぼかからない小さな工夫でも環境の持続可能性に貢献できる。こういった工夫なら,企業や民間組織のアイディアと少しの労力で可能である。

参考文献

Egebark, Johan and Mathias Ekstrom, 2016, Can Indifference Make the World Greener?,

 Journal of Environmental Economics and Management, vol.76, pp.1-13.

蟹江憲史, 2020, 『SDGs(持続可能な開発目標)』中公新書

Pichert,Daniel and Konstantinos V.Katsikopoulos, 2008, Green Defaults: Information

 Presentation and Pro-Environmental Behaviour, Journal of Environmental Psychology,

 vol.28, pp.63-73.

Rincon, Ernesto, 2020.11.6, Behavioral Economics and Sustainability: Incentivize People

for the Common Good, Digital Biz.

https://www.digitalbizmagazine.com/behavioral-economics-and-sustainability/

Sunstein,Cass R. and Lucia A.Reisch, 2016, Behaviorally Green: Why, Which and When

 Default Can Help, in: Beckenbach,Frank and Walter Kahlenborn(eds.), 2016, New

 Perspectives for Environmental Policies through Behavioral Economics, Springer, pp.161-194.