東京都大田区にある雪ヶ谷化学工業は、化粧用スポンジで世界トップのシェアを誇る優良企業だ。今から40年ほど前に開発した「ユキロン」と呼ばれるオリジナルのスポンジは、きめ細やかな肌触りが特長。大手化粧品メーカーがこぞって採用し、今では世界中で愛用されている。

 この“中小企業のエリート”を率いるのは、創業家出身で3代目となる坂本昇氏。社長に就いて2年、若い世代ならではのやり方を取り入れながら徐々に会社の改革を進めてきた。そこにあるのは、先代とは異なった視点。「何もやらずにうまく舵取りをしたい」と語る、坂本氏独自の経営論に迫る。

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雪ヶ谷化学工業代表取締役社長の坂本昇氏

大けがしそうになったら舵を取る

 昭和26年。戦後まもなく創業した雪ヶ谷化学工業は、一貫してスポンジを始めとする特殊発泡体の開発・製造を手がけてきた。

 同社の大きな転機となったのは、昭和51年に開発した合成ゴム素材の化粧用スポンジ「ユキロン」である。それまで主流だった天然ゴム素材のスポンジは劣化や膨張という弱点があったが、ユキロンはこれらを見事に克服。良質な化粧用スポンジとして一気に名を広め、現在では資生堂、コーセー、ランコム、エスティローダーなど、世界中の名だたる化粧品メーカーが採用している。そのシェア、実に70%。

 「天然ゴムを利用した化粧用スポンジの機能性をそのまま引き継ぎ、さらに悪いところを改良したということですが、実際のところ、さまざまな幸運が重なったということでしょう。今でも中小企業ですが、当時は町工場のレベルですからね。そうした環境で新製品を開発するというのは、"計算して作っていく"というよりも"がむしゃらに取り組んだらできあがった"ということだと思うんです」

 これだけの画期的な製品を淡々と語る姿が印象的だが、無理もない。取材に応じた坂本昇氏は、父親である先代の坂本光彦氏から社長を引き継いでまだ2年。ユキロン開発を主導したのは当時営業本部長だった先代であり、坂本氏はまだ生まれてもいなかった。

国内の工場は茨城県の稲敷市、海外は中国・上海、タイ、マレーシアに工場がある国内の工場は茨城県の稲敷市、海外は中国・上海、タイ、マレーシアに工場がある

 そして坂本氏は、父親とは全く異なる経営方法で舵を取る。「何から何までやってしまうスーパーマンのような」先代とは違い、社員の力を自由に引き出すよう心がけている。

 「2年前に私が社長に就いてからは、以前よりも社員は生き生きと働いているし、いろんな意見を出すようになったと自負しています。なぜなら、私が何もしていないから(笑)。これは前社長を否定しているわけではありません。私は前社長のようなスーパーマンではないので同じスタイルで経営しようと思ってもできないんです。だから指揮モデルが変わるタイミングで、組織も一緒に変わっていかなければならない。ある意味、全て放任で『多少転んだっていい。大けがしないように頑張ってくれ』と見守っています。大けがしそうになったら、そこで初めて舵を取るというスタンスです。活躍の舞台を与えることで人は成長し、組織も活性化するはずですから」

できてしまったものを安易に捨てない

 自分なりの考え方で会社を変革しながらも、「高品質、高機能製品を開発・製造し、産業社会の発展に貢献する」という社是は創業以来変わっていない。今でも定期的に幹部会を開き、常に合意の確認を取っている。一方で同社の現在の売り上げは、実に75%が化粧関連だ。安易にイノベーションという言葉を口にしない坂本氏だが、化粧以外の商材をいかに創り出し新たなビジネスにつなげるか。その糸口になるのが、「失敗品」だ。

 「化学品の開発なので、もちろん製品開発をするときにはターゲティングして、これを作ろうという風にやるわけなんですけれども、必ずしも直線で行くわけではない。『こういう球を打ったらこっちへ行っちゃって、こんなものができた』というのがいっぱいあるわけです。配合、調合次第で。ここで、できてしまったものを安易に捨てない。例えば開発者がこれを見て、自分の考えでよくないと思っても、営業から見たら宝物だったりするわけです。ニーズは全方向から上がってきますが、一番つかんでいるのは、やはり最前線の営業の人たちなんです。

 私が大事にしている考え方ですが、商売の基本はまずお客さんと会社が製品を通じて価値交換をするわけですよね。そして会社と社員は働きに対して給料を払うという形で価値交換をする。そう考えると、結局、社員とお客さんが価値交換していることになる。会社の方針がどうこういう以前に、一人ひとりがどういうものを作ったらお客さんに喜ばれるか、何が求められているのかを意識するのが大事なんです。その考え方を開発につなげていこうとしています」

ITを推進しすぎると"中間"が欠落する

 坂本氏は多くの若手企業家と同様、ITにも明るく、営業支援システムに米セールスフォース・ドットコムの「Salesforce」を導入するなど、IT化を一部では進めている。ただし、「ITを導入することで"できなかったことができるようになる"という考え方は、実は嫌い」と話す。

 「今まで煩雑だった作業が効率化できる――その点については、非常に後押ししたいとは思っていますが、やはり紙は根強いですし、社員各自のノウハウもありますからね。無理にモバイル機器で処理してもどうなのかな?という気持ちもあるんです。それに、あまりITを推し進めすぎると、二進法的な考え方になってしまう気がします。すぐイエスかノーかで、中間のものを大事にしなくなるというか」

同社のスポンジカタログ。化粧品メーカーとすり合わせながらの開発も多いという同社のスポンジカタログ。化粧品メーカーとすり合わせながらの開発も多いという

 化学品メーカーである同社にとって、「すぐイエスかノーかで、中間のものを大事にしなくなる」という態度は新たな製品の芽を摘むことにもなりかねない。化学品は配合、調合次第で変わり得る。それが時に新製品を生み出す。「出来てしまったものを、安易に捨てない」という前述の坂本氏の発言にもつながってくる考え方だ。システムの導入でも、坂本氏はこの考え方を貫く。イエスかノーかではなく、そこに至る過程も大事にするのだ。

 「例えば工場の現場でも『倉庫管理のITシステムを入れたい』といった話も出てきますが、よくよく調べてみると、従来の管理が全くのザルだったりするわけです。入れる以前にまずはExcelで管理するとか、倉庫の壁に入庫出庫の記録表を貼り付けるとか、やるべき方法はたくさんある。それらに取り組んだ上で『やっぱり大変だからITシステムを導入したい』というなら、僕もハンコを押しますよ。でも、それを抜きにして『システムを入れたからできるようになるかも』という話では、とてもハンコは押せないですね」


雪ヶ谷化学工業 坂本昇氏インタビュー

text:Masaki Koguchi(Spool)/Takanori Kuroda pic:Takeshi Maehara