明治大学大学院グローバルビジネス研究科教授の野田稔氏は、疲れきった身体と頭からは、イノベーションは生まれないと警告する(前編参照)。イノベーションを生み出せるようにするには、まず仕事の無駄を排除し、長時間労働をなくす必要があるという。

 野田氏とチームスピリット代表取締役社長の荻島浩司氏との特別対談の後編では、企業内の意識改革や働き方改革をリードする人材の育成、そしてトップの変革まで、人間と労働の間にある深い関係について話が広がった。

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荻島氏:働き方改革を突き詰めていくと、事業の撤退も含めた企業の事業自体の見直しまで求められるというお話がありました。

 実は、私たちチームスピリットでは、2011年まではソフトウエアの受託開発をしていました。そのころは、クライアント1社の声しか聞こえなかったんです。勤怠管理や経費精算などをワンストップのクラウドサービスで提供する「TeamSpirit」を自社開発することにしたときに、受託開発をやめました。業績は急降下で大変でしたが、今は600社、700社といったお客さまの声が聞こえてきます。事業の撤退というのは難しい選択肢ですが、おっしゃるように撤退も必要だと実感しています。

野田氏:プロダクトアウトからマーケットインの時代へ、とよく言われます。でも実際にはお客様にニーズを尋ねても、なかなか良いヒントは得られません。お客様自身、自分たちが何を本当に必要としているのかわかっていないことも多いものです。ただのニーズヒアリングを超えて、お客さまと深い対話をして、コンセプトをしっかり練って、その後はハイスピードでPDCAサイクルを回して最適化していくプロセスが必要になります。私はこのような形を「コンセプトアウト」と呼んでいます。イノベーションを起こし、付加価値を高めるためには、こうした新しい働き方が必要になるのです。チームスピリットさんでは、そうした動きを実践していたということでしょう。

荻島氏:コンセプトアウトという意味では、TeamSpiritの開発で面白い経験をしました。TeamSpiritは勤怠管理や経費精算、工数管理といった、ビジネスで必要な管理機能を一括して提供するクラウドサービスとして提供しています。受託開発をしていたとき、働き手としては勤怠管理や経費精算のために、それぞれ別のソフトを立ち上げたり、複数のクラウドサービスを利用したりするのはおかしいという感覚があったからです。1つにまとめたらどうだろう?と多くの人に尋ねましたが、その時点では「一緒にするのはおかしい」と受け入れてもらえませんでした。

 しかし、実際にサービスを提供すると、それまで誰もほしいと言わなかったのに、「前からこういうサービスがほしかったんだ」と言われるようになりました。コンセプトアウトを実現していくには、こうした難しさもあると感じています。

野田氏:そうですね。コンセプトアウトの発想を実現するのは、なかなか難しいものです。しかし、コンセプトアウトの発想を様々な領域で実現できるようになると、生産性は格段に向上していきます。そうした発想を生み出せる人間を育てることが、私の役割だと感じています。

鎖から解き放たれないとダメ

荻島氏:イノベーションやコンセプトアウトの発想ができる人材を育てるには、どうしたプロセスが必要になるのでしょうか。

野田氏:長時間労働で疲労困憊してしまい、会社には出社しているだけの「プレゼンティズム」が常態化してしまうと、さまざまな問題が起こります。プレゼンティズムの先には本当に限界まで追い詰められてしまう状況がありますが、そうなると人間は声を上げることすらできなくなってしまうのです。鎖につながれ続けた動物園のゾウは、鎖を抜けられるようになっても鎖から離れようとしません。人間も同じなのです。

 働き方改革をして、鎖を取り払い、野原に放って、ようやくイノベーションを生み出す環境を整えられるのです。入り口は長時間労働の解消です。休んでいいんだ、寝ていいんだ、遊んでいいんだ――そこがスタートです。ちょっと周りを見回す余裕を持つことから始めることが必要です。

荻島氏:確かに意識改革にはつながりそうです。しかし、経営者としてはジレンマも感じます。働きたいように働くスタイルが生産性を高めることは分かっています。しかし、定時退社でいいのか、時短を推進していいのか、怖い部分もあります。

野田氏:成果主義というと、時代遅れと捉えられるかもしれませんが、成果に目を向ける働き方が一番だと思います。時間というファクターを考えるのはやめようということです。目的は、社員が気持ちよく働いて多くの成果を上げることです。成果を考えたとき、一時的に長時間労働化することはあります。でも、時間が長いか短いかを評価ファクターとして考えるのはやめましょう。時間短縮は結果に過ぎず、目的ではないからです。もちろん手段としての時短はありますが、それが目的になってはいけません。

 祭りの準備のための徹夜は、健康的で楽しいですよね。時を忘れて働きたいわけです。やめなければならないのは、無駄な仕事のために長時間を費やす「ダラ残」で、成果を上げるために気持ちよく働くならば長時間であるか短時間であるかは関係ないのです。「短時間化」を目的にするのではなく、時間というファクターで評価せず成果に紐付いた仕事の仕方をすることです。

荻島氏:時間ではなく、生産性を基準として評価していくということですね。

野田氏:生産性にも、量的な生産性と、質的な生産性があります。質的な生産性の最たるものがイノベーションだと思います。新しいことを始めるときは、長時間労働化してしまうものです。24時間考え続け、夢の中でも仕事のことを考えていたりします。ものすごい長時間労働ですが、楽しくて仕方ないんです。

 ある経営者の方が、「長時間労働を推進する」というので、驚いたことがあります。しかし、お話を聞いてみると、「普通の社員がまともに働いているのは、1日15分だけで、あとは無駄なことをしている。だから長時間労働化して2時間も働いてくれれば、帰ってくれてもいい」ということでした。まさにその通りで、成果が上がれば短時間でも構わないわけです。どれだけ労働に付加価値をつけられるかがポイントです。今の仕事でどれだけの作業が付加価値を生み出すことにつながっていますか?と考えたとき、多くの労働は付加価値を生み出していないのです。付加価値労働の視点は極めて重要です。

人材は原石を探して磨く

荻島氏:働き方の改革をできる人は、どのように作っていったらいいでしょう。

野田氏:実は、そこが一番難しいところです。徒競走が速い子どもは、実は走る練習なんかしていない場合が多いんですよね。フロンティア人材、イノベーティブ人材というのは、究極の言い方をしてしまえば「育つもの」ではなくて、「探すもの」だと思います。ある確率で存在している原石を見つけて、チャンスや修羅場を与えて伸ばして磨くしかないのだと思います。

 ただ、そうはいっても、フロンティア人材やイノベーティブ人材が集まってくるような会社にすることはできるでしょう。それには共感採用をしていくしかないのです。会社案内に立派な本社ビルの写真を載せて、資本金を大書するような会社には、安定志向の人材しか集まってこないでしょう。徹夜が多いことも、仕事でぐちゃぐちゃになっているような状況も、すべて伝えます。仕事のロマン、夢、そして名誉を掲げて、そうした部分に共感してくれる人を採用するわけです。

荻島氏:立派な本社ビルがある大企業にはそうした人材の含有率は低いということですか?

野田氏:そこまで極端なことを言うつもりはありません。やはり大きな会社には、地頭の良い社員が多く集まっているでしょう。フロンティア人材やイノベーティブ人材と地頭の良さの間にはある程度の相関があると思いますから、大企業にもかなり有望な人材はいると思います。ただ、優等生的な枠にはめられてしまって、枠から外れられない人も多いのではないでしょうか。中身はやんちゃな仮面優等生を見つけて、タガを外してあげると才能を発揮する場合もあると思いますよ。

 働き方改革をして、イノベーションを起こしていくために必要な人材を、私は「青黒人材」と名付けています。青黒人材というのは、正しいことを正しく行う「青臭いところ」がありながら、世の中の現実を飲み込む「腹黒いところ」も兼ね備えている人材を指します。まあ、腹黒い、というより、したたか、といったほうが表現的にはピッタリくるとは思います。こうした、青黒人材をどうやって育てるかが勝負だと思います。したたかだけでもダメ、きれいごとだけでもダメです。両方を併せ持った人材が必要になると考えています。

荻島氏:そうした人材を育てるには、トップやミドルの役割も重要になると思います。どうやって変化を促していったらいいのでしょう。

野田氏:トップは簡単には変わらないですよね。私も苦労しているところです。ただし、働き方改革を推進するときには、トップに1つだけ約束をしてもらっています。それは、トップに我慢してもらうことです。トップがリーダーになって改革するのではなく、トップが変革のフォロワーとして支える形を取ってもらうのです。

 いくらトップが立派な人でも、改革には若い人や外部の力が必要になります。手塚治虫のマンガに出てくる天才外科医のブラックジャックであっても、自分の盲腸を切るのは大変でしょうし、自分の脳手術はできないわけです。改革はそれと同じようなところがあって、特にオーナー企業ではトップは後ろ盾になるぐらいの我慢をしてもらわないといけないでしょう。若い人や外部の力を活用して、働き方改革の上流過程となる組織開発からしっかり設計することで、ようやくイノベーションを起こすような人材が発掘されるのだと思います。

荻島氏:本日はありがとうございました。

text:Naohisa Iwamoto pic:Takeshi Maehara