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 前回に引き続き、人間が犯す「ずる」や不正直について考えてみよう。今回も行動経済学者ダン・アリエリーの『ずる-嘘とごまかしの行動経済学』に基づくことが多い。

お金じゃなければ、ずるしてもゆるされる?

 まずは、現金より、現金ではない対象の方がずるが多くなるという実験をみてみよう。アリエリーらは、大学の学生寮の共用冷蔵庫に、缶コーラ6個パックと、1ドル札を6枚載せた皿を忍び込ませておいた。さてどうなっただろうか。

 コーラの方は3日以内にすべてなくなった。誰かが自分のものでないのに持っていったのだ。一方、1ドル札の方は誰も手をつけずに残っていた。1ドル手に入れれば、コーラとお釣りを得ることができるにもかかわらず、そうする人はいなかったのだ。どうやら現金には手を出しづらいようだ。

 別の実験もある。アリエリーらは、前回述べたのと同じ「足して10になる数字を探す実験」について、報酬として現金を直接渡すのではなく、まずプラスチックのチップを渡し、後で現金と引き換えるというインセンティブを付与する際に二段階ステップを踏むやり方を行なった。

 この結果も興味深い。いずれ現金を得られるとしても、とりあえずチップという現金ではないものを入手するために、実験参加者は、現金が得られる場合と比較して2倍も多くごまかしをしたのである。

 こういった実験からアリエリーらは、次のような結論を引き出している。

・現金以外のものを手に入れるという不正は、現金を手に入れるという不正に比べて、手を染めやすい。

 他のものと比べて、現金には手を出しにくいのである。最近は、現金で払うよりクレジットカードやプリペイドカードを使うことも多いし、スマホによる決済は今後確実に進展していくだろう。このような社会のキャッシュレス化は、不正を増加させるのではないかとアリエリーは警告している。

不正やずる、ごまかしが起こる原因とは?

 アリエリーらは、数多くの実験や考察を通して、他にどのような状況の下で、人は不正やずるやごまかしをしやすいのかについて究明している。

 詳しい説明は省略するが、いくつか見てみよう。

 

 ・利益相反があると不正をしやすい
 たとえば、歯科医は、最新の機器を使い、患者のためになる治療をしたいが、それには多大なコストがかかる。一方、最新の機器を導入すれば、機器の納入業者からさまざまなサービスが提供される。これが利益相反という状況である。この場合には、患者にあまり必要でない治療(一種のごまかし、不正)を行なってコストを回収するということが増えることになる。

 ・疲れているとずるしやすい
 人が判断や意思決定をする時には、脳内の2つのシステム、すなわち直感や感情による「システム1」と、理性や論理に基づく「システム2」が働いていることは、何度も述べてきた。

 システム2は、システム1の判断や決定をモニターして、時にはそれを覆すこともある。簡単に言えば、直感や感情では「したい」と思う行動を、理性的に考えて「やめておこう」と結論することである。つまり、システム2は、セルフ・コントロールの役割がある。

 しかし、システム2をちゃんと機能させるためには、エネルギーを多く必要とし、さらに疲れを招くという欠点がある。疲れていればいるほど、セルフ・コントロールが利きにくくなるのである。

つまり、仕事で消耗していたり、過大なストレスを感じていると、システム2は働きにくくなり、セルフ・コントロールが働かず、よくないとわかっていても、つい目の前にある、魅力的に見えるものに手を伸ばしてしまうことになるわけだ。これが疲れていると不正に走りやすい原因である。

 現代社会は、仕事や人間関係、通勤などで過大なストレスを感じている人が多いだろう。また毎日毎日、時間に追われる中でさまざまな判断や決定を強いられている。このような状況では、システム2が消耗してセルフ・コントロール力が低下し、不正やずるが多くなってしまうのだ。

 ・不正は感染する
 ごまかしなどの行動がどこまで社会的に容認されるかを判断する際には、他人の存在がきわめて重要である。自分と同じ社会集団にいる誰かが不正をしているのを見ると、自分も不正をしやすい。権力を持つ者が不正をすれば、下にいる者はなおさら不正をしやすい。

 ・1人より集団の方が不正をしやすい
 特に、自分の不正が集団内の誰かの利益になるような場合には、不正に手をつけやすい。

不正やずる、ごまかしを減らすことができないわけではない

 ここまで挙げた通り、社会には潜在的に不正やずる、ごまかしの芽がある。では、これに対策を講じることはできないのだろうか? 今度はアリエリーの「不正やごまかしを減らす方法」に関する実験を通じて考察しよう。

 まず、道徳規範を思い出すだけでも効果があると言う。

アリエリーは、試験やレポート提出時に、「本論文は、大学の規則に基づいて作成した」とか「試験中に倫理規定に違反しなかった」というような文言に署名すると、不正は激減することを見出した。このような倫理規定やそれへの署名は有効なのである。

 しかし残念ながら、この効果は長続きしない。したがって、会社や学校でよくある倫理・道徳の講義や研修を受けさせるだけでは、まず効果がない、ということだ。不正直なことをしたくなるような状況で、いちいち倫理や道徳を思い起こさせる方と組み合わせることが効果的なのである。

 こうした実験はアリエリー以外も試みている。次の実験も興味深いので取り上げてみよう。
ある大学では、共同利用の研究室で教職員が紅茶やコーヒーなどを自由に作って飲むことができるようになっていた。ただし、箱に代金を入れなければならないルールがある。ところが困ったことにごまかしをして少ししかお金を入れなかったり、全く払わない人もいる。大学の教職員なのにあきれたことだが、ここに監視の目が入ると、この不正が抑止されることがわかった。

 それを突き止めた実験の内容はこうだ。
集金箱の近くに、「花の写真」と「じっとみつめる人の目の写真」を1週間おきに交互に貼っておいた。すると、花の写真のときに比べて、「人の目」の写真では、集金箱にいれた金額が3倍にもなったのである。

 要するに、「人の目」の写真は、実際に誰かが監視していなくても、人々に「監視されているような気持ち」を呼び起こし不心得な行為の抑止効果を発揮したのである。

 このことを援用すると、単独行動よりグループで行動するときの方が、お互いがお互いの行動を監視することになり、気持ちだけではなく、実際に行動を見られることから、不正を防ぐことになる、との想像も難しくない。

潜在的な発生原因を知ることが防止・抑止の要になる

 本稿からわかるように、また、多くの勤め人なら実感できるように、企業や組織には、不正を生みやすい土壌がある。自我消耗、集団内の不正、不正の感染などだけでなく、同調圧力や権力者からの圧力があれば、なおさら不正が生じる機会は高まるだろう。

 一方、企業や組織という相互監視が可能な場という点では、不正に対する抑止力も働いていると考えられる。

 残念ながら、企業や組織をおとしめる不正やずる、ごまかしをなくす決定的な策は見つかっていない。しかし、それを放置するわけにはいかないものだ。では、どうすればいいか? 状況に応じた効果的な抑止方法を見つけるためには、ここで述べたような「どんな状況でなぜ人は不正を行なうのか」をまず明らかにすることが肝要である。