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 前回見たように、私たちは、お金を、売買を仲介するためや価値を貯えたりするための単なる「道具」であるとは考えていない。貨幣錯覚はその典型的な表われである。私たちがお金を単なる「道具」と捉えていない例証はたくさんあるが、次のような例も興味を引く。



合理的とはいかない「お金の魔力」

 一定の額の年俸を12ヶ月に分割して支払うことにしよう。以下の3つの方法から選択して欲しい。

1つ目は、毎月一定額を1年間支払う。
2つ目は後になるほど徐々に金額が増えていくように支払う。もちろん合計額は同じである。
3つ目は、逆に最初が多くて徐々に減っていくように支払う。

 この場合に、「どの方法で受け取るか」と質問すると、2番目の「徐々に増えていく」を選ぶ人がきわめて多いのである。私も学生にこの調査をしてみたが、「徐々に増える」が圧倒的に多数(85%以上)であり、「徐々に減る」を選んだ学生はいなかった。

 もちろんこれは、決して合理的な考え方ではない。金利などお金の計算に長けた人なら、最初にたくさんもらって徐々に減っていくという受け取り方法を選ぶだろう。こうすれば初めの報酬を貯金して利子を得ることができるから「得」である。標準的経済学は、ほとんどの人は「徐々に減る」を選ぶと予測する。しかし、そうはならないのだ。

 このように、人間は決して合理的に物事を考えてはいないし、お金についていえば、徐々に「増えていく」ほうが「プラスである」と感じ取る傾向がある。

 この傾向は直感的にはよくわかる。今を基準(参照点という)にすると、翌月に給料が上がるというのはうれしい。次に今度は翌月の給与が参照点となり、翌々月の給料が上がるのはまたうれしいからだ。次第に下がるのはもっとも残念だし、変わらないのもうれしくはない。

 さらに私たちには、新しいきれいな札を好むという一見奇妙な性質もある。
結婚などのご祝儀金には新札を使うという慣習もある。イギリスのある調査によると、新しいきれいな札と使い古して汚れた札とでは、新しい札の方が滞留期間が長い。つまり古い札から順番に使われ、新しい札こそ財布に留まる時間が長いという面白い調査結果もある。

 この現象も合理的とは言えない。新しかろうが古かろうが、きれいだろうが汚かろうが、お札の価値は同じだからだ。道具説でも説明できないこのような心理作用をもたらすのが、お金の魔力というか不思議な力である。

 


お金をめぐる第3の説

 お金は、単なる道具ではないことやさまざまな心理作用をもたらすことを見てきたが、第3の説もある。

 それは「お金はドラッグだ」という説である。お金の働きは麻薬などの「ドラッグ」の作用と似ているところがあるのだ。お金を道具として使いこなし、自分の満足を満たし、よりよい生活を実現するために用いるのではなく、お金そのものが効用をもたらす、つまり、お金そのものに価値を見出し、お金そのものを欲するということである。

 お金持ちがお金を使わずに、もっぱらお金を貯めることに喜びを見いだすと言ったことは、お金のドラッグ性の表われであろう。さらに麻薬で人生を破滅させ、命まで落とす人がいるのと同様に、お金にこだわるあまり自分や他人の人生を破壊し、命を落としたり奪ったりすることがあるのも事実だ。

 お金そのものではなく、お金を使うこと、特にものを買うこと自体に中毒となってしまう買い物嗜癖と言われる性癖もある。これも買い物の対象となる商品ではなく、お金の持つドラッグ性のひとつであろう。

 多くの人は、お金が貯まることだけで喜びを感じるようになる。前回の実験でわかるように、お金を見ただけで行動に変化を来すこともある。まさにドラッグと同じなのだ。

 ドラッグというのは、体内に取り入れても何の役にも立たず、むしろ害悪を及ぼすだけの存在だ。脳は確かに短時間なら満足するが、その結果として依存性を発揮してしまう。お金にも、それと同じ性質があるのではないかという主張が、お金「ドラッグ」説である。



お金は苦痛を和らげる?

 人は、社会的に拒否されたり排除されていると感じているとき、また生理的な苦痛を与えられても、お金があるとそれが和らぐことが実験的に確かめられている。お金の力のひとつである。

その実験を見てみよう。

実験参加者のひとつのグループは、まず、実験者が用意した80枚の100ドル札の枚数を数えた(お札条件)。
もうひとつのグループは80枚のただの紙を数えた(中立条件)。
その後4人でボールをパスしあうコンピュータ・ゲームを行なった。

 参加者は実際に3人の人とプレイしていると説明されたが、実施にはコンピュータが3人分の役割をこなしていた。

 最初は4人のプレイヤーの間で平等にパスが回される。標準条件では、この状態が維持されるが、社会的排除条件では、途中から実験に参加している人にはパスを回さない。ゲーム終了後、参加者はゲームでの社会的苦痛の程度を評価した。

 結果として、排除条件では、お札条件のグループは中立条件のグループに比べて、ずっと痛みの程度が小さかった。つまり、お金を数えただけなのに、社会的に排除されたと思っても、その痛みは小さく感じるようである。

どうやらお金には、そういった社会的痛みを和らげる効果があるようだ。

 社会的痛みだけでなく、生理的な苦痛がお金で和らぐこともある。まず上の実験と同じくお札か紙を数えてもらう。その後、2つの条件で痛みの感じやすさを調べた。

強い痛み条件では、助手が実験参加者の左手を固定して、人差指と中指を3回お湯に浸けた。お湯の温度と浸ける時間は43度で90秒、50度で30秒、43度で60秒の順序である。

弱い痛み条件では、43度で180秒間お湯に浸けた。耐えられない温度や時間ではないが、快適とは言い難いであろう。

 参加者は、この措置がどれくらい苦痛であったかを評価した。するとやはり、ただの紙を数えたグループに比べて、紙幣を数えたグループでは、強い痛みであっても、弱い痛みであっても、苦痛の程度が、ずっと小さかったのである。

 お金は、拒否や排除という社会的痛みや生理的な苦痛を小さくする効果を持つようだ。ドラッグは、ストレスや寂しさから逃れる手段として手を出しがちだと言われる。この意味でもお金とドラッグの共通点が認められる。やはりお金はドラッグなのであろう。



お金との向き合い方を考え直そう

 結局、お金は道具であると同時にドラッグであるということができる。

しかし、人が道具としてのお金を使いこなし、またドラッグのようにお金にはまってしまうのはなぜなのかについては、いまだ十分に解明されているとはいえない。

 道具であるお金を賢く使いこなすことができればよいのだが、使っているとドラッグ的な面を切り離すことがなかなかできないことになる。直感や感情(システム1)に任せきりにせず、理性や論理的思考(システム2)を十分に働かせなければならないのである。

 お金が単なる道具以上の意味を持っていることは明らかだろう。
まず経済学はこの点を十分に考慮に入れなければ、現実的な理論や有効な政策をつくることはできないであろう。

 また、私たちは個人としてお金のもつ意味をよく考え、お金に振り回されずに適切に管理し、お金に使われずに上手にお金を使うことが必要である。